エリック・ロメール『愛の昼下がり』

ベルトランにとってのシュザンヌがそうであったように
一見するとクロエという不気味な他者がフレデリックの前に表れる
という話のように思えますが、それは正確ではなくて
クロエと出会うことでフレデリックが昔の自分、
あるいは自分でも気付いていなかった自分の可能性、
などといった「自分の中の他者」に出会う話だと言えましょうか。

フレデリックがシャツを買うシーンでは、
「買うつもりはないのに、いいのかい?」
などという言葉とそっけない態度とはは裏腹に
本当は一目見た時から買うつもりだったことを後で告白する。

同様に、クロエが初めて事務所を訪ねてきたときも
その時のややギスギスした空気と、クロエのさばけた性格からし
彼女が訪ねてくることはないだろうとフレデリックは踏むわけですが
みごとにその予測は裏切られる。

フレデリックの視点で語られている映画ですが
ここではクロエもフレデリック自身も、
態度や言動からは予測のつかない他者として表れています。

そして、最初は鬱陶しがっていた彼女のことも
自分の中の他者も、とまどいながらも受け入れていく。
『シュザンヌ』や『獅子座』ではあくまで個人の変化だったのですが
ここではそれが関係の変化として表れています。

当初は妄想の中にあった「別の自分の可能性」は
妄想ではない現実の他者であるクロエと出会うことで
想像していたのとは違った形で表れ、
その、ふいに自分を襲った不気味な自己に
ゆっくりと慣れ親しんでいく過程。

新しい感覚、新しい世界にふれる苦痛を味わいながら
それと同時にその未知のものからくる圧倒的な刺激に喜びを覚える。
これは出産に似ているのかもしれません。
僕はもちろん子供を産んだことも育てたこともありませんし、
生まれてくるときの感覚を覚えているわけでもありませんが。
まぁそういうわけで、フレデリックの新しい赤ちゃんは
フレデリック自身であるとも言えるわけです。

で、新しく生まれ変わったフレデリック
結局はクロエではなく奥さんを選ぶ。
新しい自分が新しい感覚で、
それまで「安心感」しか感じなくなっていた女を見ることができる。
なかなか粋な結末です。

しかし、このラストは本当に素晴らしいです。
軽快な話術を得意とするロメールが、
その言葉の積み重ねの上で最後の最後で言葉を失い、
荒々しい世界に触れて直に感情を揺さぶるような場面を見せる。
まぁロメールの映画では定番みたいなシーンなんですが
何度観てもその度に激しく感動してしまいます。