余は如何にして ラーズ・ウルリッヒとなりし乎

「8月は一本しか映画観らんなかったよ」と言ったら
「最近映画なんて全然観ないよ。参考になる?」と言われました。
参考になるかどうかでものを観たり聴いたりしてるわけじゃないので新鮮な言葉でした。
なんつーか、ギラついてます。

思えば僕も大学生くらいのときは小津だろうがフロイトだろうが「何かここから吸収しないと」というギラギラした視点で対峙していた気がします。
「作品を作りたい」という切迫した欲望が弱ってきていて、それが作品の弱さにも繋がってるのかも、なんて思ったりもします。
その意味で、学校に通うというのはよいリハビリですねー。
ギラギラした輩がいっぱいいますから。

メタリカマイケル・ジャクソンが好きなことと、現代音楽寄りの曲を作ることの間にどんな関係があるのか」
と聞かれるのですが、それに正確に答えるのは難しい。

こまかいところでは言って言えないこともなくて、例えばこの間作った曲だったら「時間軸のズレというテーマは直接的にヘヴィーメタルの影響を受けているんだ」とかなんとか。
しかし、手法のシミュレートなどどうでもよい。
僕の曲を聴いたときに形式(ジャンル)の違いを超えてメタリカの曲を聴いたときのような感覚を味わえるのでなければ意味がない。

メタリカメタリカでなければならない理由、普通そんなものは言語化不可能なものとして片付けられてしまうわけですが、そこをなんとかして論理化したい。
手法ではなく経験のシミュレートをしたいわけです。
言い換えれば、シミュレートはいかにしてリアルになり得るか、ということです。
そのためにはやはりもっとギラついてないとダメだなぁ、と反省いたしました。