感情教育


A:Xみたいなやり方はダメだよ、Yみたいにやんなきゃ。
B:XみたいにやるよりYみたいにやったほうがよかったんじゃない?


AとBはほとんど同じことを言っていますが
人間ってのは不思議なもんで、
僕はBの意見だったら受け入れることを検討しますが、
Aのような言い方をされたら頑として受け入れないでしょう。
理性の上ではAとBが同じだとわかっているのですが
感情的にはAをBと同じようには受け入れられないわけです。

『クラッシュ』で警官のハンセン(ライアン・フィリップ)は
人種差別もせず正義感も強いのですが、
車に乗せた黒人青年のピーター(ラレンズ・テイト)が
ポケットから人形を取り出そうとしたのを銃と勘違いして射殺してしまいます。

ハンセンは理性の上では人種差別はいけないと思っていたがゆえに
ピーターを車に乗せたのですが、
街のチンピラ風のピーターを心のどこかで信用できずにいたため
このような事件が起こってしまったわけですね。

人のことは信用しなければいけません、
というのがこのエピソードの教訓ではなくて、
信用しようにも感情的に乗り越えが困難な対立がある、ということ。

話は飛びますが、
音楽の好き嫌いって感情的なものです。
上のエピソードでハンセンの感情のしこりを作ったのが
人種社会アメリカでの日々の生活からだった
ということを考えればわかるように
感情は文化的に学習されるものです。
(喜怒哀楽のような基本的なものはたぶん本能に根ざしていますが
何に対し喜怒哀楽を感じるか、に関しては学習によるでしょう)

「あの日、道頓堀でモォツァルトに頭をガツンとやられたね」
というようなエピソードはよく聴きますが
こういうのは30%が真実で残りは自身の記憶の操作によります(笑)
本当にガツンとやられたとしても、
モーツァルトにガツンとやられる下地(音楽的素養とか)がなければ
ガツンとやられることはないでしょう。
運命でも本能でもなく学習の効果によるってことです。

問題なのは、「音楽の好みは学習の効果による」
と理性的にはわかっていても
実際に音楽を聴く段になってみれば
もっとロマンティックな感情に支配されてしまうということ。

啓蒙主義的な理性を感情に回路付ける音楽(ケージやコルトレーン)が
衰退してしまったのは、彼らが間違っていたからではなく
現在が間違っているかれでもなく
ハンセンと現代のアメリカの状況がそうであるように、
啓蒙主義が感情にまで影響を及ぼす文化的状況がかつて存在した
というだけの話になってしまうのではないかということ。
あなおそろしや!