全体/偶然

ウチの近所では、河川敷のクローバーは葉が大きく、公園のクローバーは平均してそれよりも小さい。
と言っても、同じ公園のクローバーでも株ごとに葉の大きさは違いますし、もちろん葉の一枚一枚に至るまで完全に同じ大きさのものなどありません。


ここから、
1、クローバーの葉の大きさは、場所、株ごとに一定の規則性を持つ。
という全体性に基づく視点と
2、クローバーは葉、株、場所ごとに違った大きさを持つ。
という個別性に基づく視点の二つ見方ができます。


このとき、全体性に視点を合わせてしまえば個々の葉の違い、個々の株の違いを見逃すことになりますし、逆に個々の対象の個別性に視点を合わせてしまえば、それらが秩序だって全体を構成していることが見逃されてしまいます。
ここで、個々が別の大きさを持つことを偶発性と言い換えてみましょう。
いつものように唐突に音楽の話に切り替える準備が整いました(笑)


東洋思想に傾倒していたケージにとって偶然性と全体性は矛盾するものではなかったはずです。
彼の音楽を偶然性というタームだけで理解するのは不十分なのです。
「偶然性を組織する」などと言うと矛盾しているように思えるかもしれませんが、クローバーのような自然のシステムを見ればそうではないことがわかるでしょう。


「自発的にそれぞれの音楽をやっている集団が、いかにいっしょに音楽ができるかということを追求している」
と語る高橋悠治が同じことを目指しているのもわかるでしょう。
彼の師であるクセナキスの「確率音楽」もまた、全体性と偶発性を矛盾なく扱うための方法なのです。


僕は高橋悠治を最も尊敬して影響も受けているのですが、今の僕は組織論を実験するための手段などほとんど持っておらず(その意志もあまりありませんが)、とりあえずコンピュータ一台で考えるしかないので、悠治よりもクセナキスに参照する点を見出したほうがいいのかもしれません。
数学の勉強はしたくないのですが(笑)