安野モヨコ『ハッピーマニア』

安野モヨコのキャラクターとの距離の取り方は気持ちがいいです。
クールだけれど愛にあふれている。
これはフィクションより、対象が自分(『美人画報』)だったり旦那(『監督不行届き』)だったりするエッセイのほうがわかりやすいでしょう。


「ちょいダメだけどそこも好き」とかいう甘ったれた愛情ではなくて、非情なまでの対象化が強い愛に支えられているというたいそう美しい愛のマンガたちです。
まぁ旦那を愛してるのはいいとして、自分主体のエッセイで愛にあふれてるってのは自己愛が強いってことなんですけどね(笑)
それでも正確に自分のこともクールに分析していますし、自虐的なだけにならないぶんバランスが取れていると言えましょう。


愛がないと書けないなずなのに、愛を失ってしまうこともあって、そういう時は読んでいてツライものがあります。
貴子さんは、はじめは「美人じゃないけど純朴そうでカワイイ娘」という感じなんですが、最後のほうは小太りになっています。
ストレスで太っていった、とかいう計算をして描いているわけではないと思うんです。たぶん。
書いてるうちに自分のキャラに憎悪が湧いてきて、それがストレートに表れてしまったように見えます。


シゲタなんてどれほどバカなのかって感じですけど、ほほえましい気持ちで見てしまいますからね。
主人公だけでなく男も女も最低キャラのオンパレードですが、みんなそのようにしか生きられないサガを感じると魅力的で愛らしい人たちに見えてきます。
それだけに貴子さんのずば抜けた醜さが際立っていて、そこに安野のキャラに対する距離の取り方の危うさと魅力が集約されています。


ところで、「遠くて近い」のが安野のキャラに対する適切な距離だと思うのですが、貴子さんがやや遠すぎるのに対して、『働きマン』の松方はやや近すぎる感じがします。
基本的に安野のキャラは「愛すべきダメ人間」です。
僕の考えでは、本当は松方も「仕事が出来る社会不適格者」って設定のはずなんですけどね。
「不適格者」の部分が弱い感じがします。


ハッピーマニア』を読んで「ああ、その気持ちわかる」という感想はありえても、「シゲタみたいになりたい」などとは誰も思いません(笑)
しかし、『働きマン』を読んで「松方みたいになりたい」と素直に思う人はけっこういるのではないでしょうか。もちろん僕は思いませんが(笑)
派遣会社のCMで松方(アニメ版)が「すべての働きマンを応援します」とか言ってますね。
あのCMに安野はあまり関わっていないとは思いますが、そういう読まれ方をしてるからそういう使われ方をするんだと思うんです。


まぁ舞台だけじゃなくてスタイル的にも今までと違うマンガを書こうとしてるのかもしれませんが。
僕は今のことろちょっと乗れてません。
がんばってるヤツが報われるって話を書く人ではないと思っているのですが(そいう話が嫌いだというのではなくて、安野はそういう作家ではないのではないか、という意味です)
式場でウェディングドレス着て「彼氏ほしい」って言ってしまうシゲタに感動してしまうのは、彼女が超絶バカで最低の女だからこそなんですけどね。