ひみつのアッコちゃん

矢野顕子のアルバムは何枚か持ってるけど、結局のところ何度も繰り返し聴くのはMIDIレーベル時代「Co-Produced by 坂本龍一」のものばかり。
『愛がなくちゃね。』とか『ごはんができたよ』とか。


これらはとても好きなアルバムなんですが、僕が「とても好き」なのは全盛期の坂本龍一によるアレンジであって、おそらく矢野顕子の歌ではない。
そういう聴き方が間違ってるとは思わないけど、僕が矢野顕子の本質的なものを取り逃がしているのは確かだと思うわけです。


その二つは別の問題でして、本質を取り逃がしていることは間違っていることを意味しません。
まぁ僕の言うことはいつでも同じなんだけど(笑)、「矢野顕子の歌の本質」を考えてみることも、それとは別のアプローチで聴いてみること(例えば「坂本プロデュース作品」として)も共に重要です。


僕はどっちかと言えば後者、スクラップ&ビルドで言えばスクラップのほうに興味があるんですが、別にそれはビルドのほうを軽視しているということではないのですよ。
ただ自分には向いていないと思ってるだけで。


僕は「音楽に言葉はいらないなんてヤツは殺してやりたい」とか
「ピアノになんて触りたくもない」とか「音質に興味がない」などと言いますが、
それは言葉にならないものや演奏や音質を軽視しているからではなく、出来る限り音楽を言語化することや、演奏しないことや意図的に音質を無視することによって、逆方向からそれらにアプローチしているってことなんですよね。