ジャック・ドゥミ『ロワール渓谷の木靴職人』

先日の「円環する時間」という語の言い換えになるが、ドゥミの映画では反復する主題が何度も出てくる。
『ローラ』の主人公・踊り子のローラは水兵の恋人を何年も待っているわけだが、彼女の小さい頃によく似ているらしく、水兵のフランキーに恋をし、踊り子になりたいと言うちびのセシル(ローラも本名はセシルだ)がローラを反復しているわけだ。


さらに、さっき観て知ったのだが、セシルを女手一つで育てる母親役のエリナ・ラブールデットは、ブレッソンの『ブローニュの森の貴婦人』で母子家庭に育った踊り子の役を演じており、これがまた『ローラ』で反復されているわけだ。


処女短編の『ロワール渓谷の木靴職人』からして反復の主題は明確に見て取れる。
朝7時10分に起床するシーンで始まり、「今日も7時10分に…」というナレーションで終わるという映画の構造からして、同じ時間が反復され円環に閉じられていることを示しているだろう。


木靴が作られていく様子が、短編らしく省略されつつも丹念に描かれるのだが、最後に出来上がった木靴が、たくさんの木靴がならぶ天井に吊り下げられることで、同じような作業が何十年も繰り返され、これからもそのような時間が生きられていくことを示している。


ラストシーンでは川辺を散歩する若いカップルが映し出されたあと、釣りをするじじいと横にその横にすわるばばあにカメラが寄って終わる。
セリフなどわからなくても一発で泣いてしまうような素晴らしいシーンなのだが、言うまでもなく歳の離れた二組の、どちらも幸せそうなカップルのショットが繋げられることで、その二組の生きる時間が繋がり、同じような時間が反復されていくことを予感させる。


英字幕での上映だったのでセリフの意味が半分もわからないのだが、どうやらどうやら途中で友達か誰かが死んだらしい。
画面左手前に無表情で立つじじいに近所のおばちゃんがすーっと寄ってきてその知らせを耳打ちする。そしてじじいは腰をおろして後ろを見やる…
上手く説明できないのがもどかしいのだが、このときの間の取り方にじじいが今まで生きてきた、そしてこれからも生きていくだろう時間の重さがずっしりと息づいている。
そしてそれは、反復し円環する時間の中に彼が生きているというこの映画の構造の中でこそよりいっそう強く実感される。


『天使の入江』の二人の、ダメだとわかっていながら賭けをやめられないという悲劇的な反復のように、この反復の主題は残酷で苦渋に満ちた側面も持っている。
が、やはり『天使の入江』も一応ハッピーエンドで終わっているというのは重要だ。
ドゥミは最終的にはこの反復に希望を持っていたのだと思う。
何度も同じことを繰り返して生きていくちっぽけな人間の生を、ドゥミが限りなく愛に満ちた視線で見つめていたことは、この短編を観れば明確だからだ。