愛される女

一緒に雑誌を眺めているとき、ウチの同居人は恋の体験談やテクニックに対してとてもシビアな発言をする。
まぁ僕だって「くだらねぇ」と思う記事がないではなないけれど、自分では経験したことがないことに対しては基本的には「そんなものなのかしらん」という姿勢なのだが、
彼女は「お前それ知ってんのか?」というようなことでも平気でバカにする。


僕は断定が嫌いで「AはBである」とは決して言わず
「AはCかもしれないがBでもありうる」と考えるのを基本にしているので
上記の違いもそういう思考の枠組みの差なのかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。


小沢真理の『世界でいちばん優しい音楽』の主人公・菫子はフィアンセの皓と1年余り暮らしただけで死に別れ、他に男性を知らないのだが
「スウ(菫子)の余裕は皓さんに心の底から愛されたという自信からきてるんだと思う」などと友人に言わせてしまう。
経験の有無など関係なく、質が問題なのである。


我が同居人もこれと同じ自信からシビアな判断を下せるのではないか。
自分で経験していようがいまいが、違うと思ったものをすべてくだらないと切り捨ててしまえるだけの圧倒的な充足感と信頼、そしてそこからくる自信。
あの女にそこまで思わせるとは…あっぱれだ義弟よ、完敗だ。
そしてうらやましいぞ。