教養

「教養がある人は大抵みな雑学もあるので勘違いしやすいが、
教養は情報ではなく、情報単位の間の関係性を発見する力である」
というようなことを内田樹が書いていた。


浅田彰と言えばみんな『なんでも知ってる』と言う人が多いが、
あれぐらいものを知ってる人は東大や京大にはざらにいる。
彼が抜きん出ているのははその編集能力だ」というようなことを森毅も書いていたが、
この「編集能力」と内田の言う「教養」は同じだと考えてよいだろう。
知識があるだけでなく、その知識と知識を結びつけて考えられなければ編集はできないだろうからだ(知らんけど)

同様に、宮台真司ルーマンやらギリシャ哲学を読んでいて映画もいっぱい観てるから偉いのではなく、
ルーマンギリシャ哲学と現代の映画を結びつけて考えられる知性こそが彼の武器なのだ。


知識がないことを恥じる必要は必ずしもないのだと思いたいところだが、
知性が銃だとすれば知識は弾であり、やはり弾がなければ戦えない。


たくさん読んだり観たりしても、それについて考えなければまったく意味がないが、
何も読まず、何も観ず、何も聴かずに考えるのはちょっと厳しい。
やはりよく読んでよく考えるのがよい、という当たり前の結論に達する(笑)
とりあえず僕は本を読むのがえらく遅いのだが、それは恥じなくてもよさそうである。