理解しあえなくても共有はできる

最近、知人に恋人が出来たらしいのだが、
シュミットの映画でたまたま会ったときに一人だったので
(まぁいつも二人でいるというわけでもなかろうが)
「彼女できたらしいじゃない。一緒に来ないの?」と聞いたところ
「シュミットの映画とか観る人じゃない」とのこと。

しかし、彼と親しい別の知人に聞いたところによれば
ガレルの『失われた恋人たちの革命』を一緒に観に行ったという話だったので
(注:シュミットよりさらに取っ付きにくく、かつ長い映画なのだ(笑))
そのことについて聞くと「彼女は寝てた」とのこと(笑)

僕だったら、どんな映画が好きなのかもわからない人を
3時間もあって、モノクロで、五月革命がテーマの映画には連れて行かないだろう。
マリー・アントワネット』あたりで反応を見るのが無難というものだ(コッポラをバカにしているわけではないですよ。とてもいい映画です、念のため)
バカなんじゃないかと思うが(笑)同時に敬服もする。

自分の立場に立って考えてみれば、
たとえつまらない映画であっても好きな人と観ればよい思い出だろうと思う。
「こんな映画観せたら引いちゃうかも」なんてビクビクする必要はないのだ。
そんな臆病な態度のほうが失礼というもので、もっと相手を信頼すべきである。
人は別の人と出会うことで変わるものなのだから。
僕も恋人が出来たら三輪眞弘のコンサートに連れて行こうと思う。