ダニエル・シュミット『ヘカテ』

ロッコの日差しは強く、その日差しに照らされたものは濃い影を落とす。
主人公ロシェルの顔にも、木の、鉄柵の、窓枠の、影が射しその顔が晴れることはない。
もちろんそれはクロチルドの影を象徴する。
彼はクロチルドの影から逃れることはできない、というわけだ。

クロチルドとてその影から逃れることはできるわけではない。
しかし、ロシェルの顔に射す影が常に彼の顔を暗く曇らせる影であるのに対し、
夜の女王ヘカテたるクロチルドは、その影によって一層その暗い美しさを増す。
ロシェルにとっても、夫にとっても常に「あなた好みの女」である彼女は、
自分が彼らの影に染まることを楽しんでいるようなのだ。

彼女のようには人生の影を楽しむことができないロシェルは、
彼女の全てを明るみ引きずり出そうともがき苦しみ、
それが叶わぬと知ると、彼女自身に同一化しようとする。
クロチルドが抱いた(とロシェルが妄想する)少年を犯すのはそのためだ。
もちろん待っているのは破滅である。
身分としては破滅ではないが、彼女の前を去らなければならないのだから破滅と同じだ。
あるいは彼女の前から去りたかっただけなのかもしれないが。

ロシェルはシベリアで「彼女から解放される日を待っている」という夫に会うが、
この男の絶望的な諦念は誰かに似ている。
そう、ロシェルの上司だった大使(ジャン・ブイーズ、役名不明)だ。
彼は部下がどんなにバカなことをしようと超然とその汚点を受け入れ、
いつも同じカフェで同じように何かを待っている。

後半はロシェルの見る幻覚のオンパレードだが、
ジャン・ブイーズが老婆を一瞬クロチルドと見間違えるシーンもある。
彼もまたクロチルドに魂を食われた過去を持つ犬なのだ、そう考えるのもそれほど穿った観方でもあるまい。

彼らは決して戻ってくるはずもなく(と言うより初めから存在しない幻想だったのかもしれない)クロチルドの愛を待っている。
待つことに耐えているというより、身も心も彼女に染められ、支配される喜びに打ち震えていると言えるのかもしれない。
ちょうど「あなた好みの女」であるクロチルドがそうであるように。
(つまり彼らは彼女への同一化を果たしたのだ)
まぁ現代用語で言えば「放置プレイ」というヤツだ。
そして、ラストシーンで彼女と再会を果たしたときのロシェルは夫やブイーズと同じ目をしている。
彼もまた彼女を待ち続ける不毛な愛の快楽に目覚めたのだろう。
めでたしめでたし、である。