ダニエル・シュミット『今宵かぎりは…』

冒頭で映し出される城は、ヨーロッパのどこかに存在する城などではなく、
隠り世の中に一時的に出現した幻の城です。

老女が客(召使)たちを招き入れるシーンでは
部屋の入り口がまるで鏡のようで、
鏡の向こうからこちら側に入ってくる客たちは
その入り口をくぐった瞬間からあの世へと足を踏み入れてしまった者たちです。

その一室では、召使(に扮した貴族)たちが、
床を掃除したり、蝋燭を用意したり、グラスを運んだりと
狭い部屋の中で忙しなく(しかしゆっくりと)動き回っていますが、
固定カメラで捉えられたフレームの外には別の部屋などなく、無の闇が広がっている。
カメラがパンをしないのは、そこが城の中の一室などではなく
この世のどこかに突然現れた蜃気楼のような空間だからです。

あるいは、食卓にワインとパンが並んでいくシーン。
召使たちのあまりにも緩慢な動き、その場を支配する沈黙、
そしてその沈黙を穿つ「コンッ」という食器の置かれる音。
そこに見える食卓はは我々が知っているのと貴族の食卓に似ていますが、
それは我々が知っている「食卓」とは別の原理によって出現させられた食卓であって、
そこがこの世とは別のシステムによって支配されている空間だということなのです。

そんな全くの別世界を出現させたことだけでもシュミットは充分に恐ろしいのですが、
さらに大胆にも、チャプリンの『独裁者』を思わせるようなチョビ髭の男に唐突な演説をさせ、
映画の中に出現した異空間の特異点を観客の側に投げてよこすのです。
劇中で彼を笑う人々の声やその演説に対する拍手の音が無いのは
すでにその特異点(彼の言う革命)が、こちら側に投げられたあとだからです。
ちょうど鏡の向こうから彼らがあの空間に入り込んだように…

さて、もう賽はもう投げられた。
映画の中に出現した異空間はゆっくりと閉じてゆく。
シュミットが投げてよこした特異点に不意打ちを食らった僕たちが
それを受け取るか無視するかは自分次第なのです。