ジャック・ドゥミ『ロバと王女』

僕が観たことがあるドゥミの長編は数えてみたら6本でしたが
ロシュフォール』までと、この『ロバと王女』より後で
随分と断然があるように感じます。
ロシュフォール』が66年、この映画が70年で
間に68年があるので、それが関係しているのかもしれません。
全然知らないので適当に言ってますけど。
でもホントに違うんだもん、別人のように。

シェルブール』や『ロシュフォール』でも、この映画でも
「ジュテーム、ジュテーム」「アムール、アムール」
とバカみたいに繰り返している(笑)という点では一緒ですが
前期(と勝手に呼ぶ)では
ドゥミはその「愛」を本気で信じているのに対し
この映画や『ベルばら』ではそこに諦念にも似た絶望的な賭け、
「信じる理由はもはやないが、信じる以外にない」というような
悲愴な想いがこめられているように見えます。

この愛というのは映画への愛のことではないのか。
前期の映画のように、ストレートに愛の賛歌を歌い上げることはもはやできなくて
おとぎ話の中のものとしてしか語ることが出来ない。

もちろん『シェルブール』だっておとぎ話なんですけどね。
「これがリアルだ!」って言い切れるだけの強さを
60年代までのドゥミは持っていたと思う。

それがこの映画では、青や赤に塗られた白の兵士たちや
逆回しや合成といった様々な特殊撮影など
「これはフィクションです」というエクスキューズ付きでしか
愛の物語を語れなくなっているように見えます。

この映画の中で本当に愛にあふれているのは
主人公二人が、王女の魔法の中で
二人で丘を転がり、お菓子を食べ、ボートに乗ってキセルを吸う、
ほんの一瞬の幻想の中でしかありません。
なぜドゥミがそこまで追い詰められてしまったのかわからないし、
そうなってしまったドゥミの映画を観るのは何やら悲しいのですが
幻想の片隅で一瞬であっても彼らしい愛らしさを見ることができたら
それだけで僕は幸せな気分になれるのでした。