ジャン=リュック・ゴダール&ジャン=ピエール・ゴラン『万事快調』

イブ・モンタンジェーン・フォンダ主演のメロドラマ
と見せかけて中身はアジテーション映画だけれど、
実を言うとやはりこの映画はすれ違う人々を描いたメロドラマです。

もちろん主にすれ違っているのは別の階級同士、
資本家と労働者、記者と資本家、組合と急進派、党と労働者、等等ですが
ここに男と女という階級も加わります。
つまりメロドラマとは政治であり、
政治とはメロドラマであるということですね。
ゴダール=ゴランはここでそれらを客観的に撮る
という方法を放棄して、徹底的な虚構としてそれらを描きます。

資本家には資本家の労働者には労働者なりの
それぞれの正義があるなどとは認めず
徹底して彼らを俗物として扱う。
わざとらしくチャチなセット、リアリティのかけらもない移動撮影、
わざとらしいつなぎ間違い、カメラ目線で話す人々。
何の説明もなく工場で働くフォンダとモンタン…

観客は物語を自然なものとして受け入れることを拒まれ、
画面と物語の齟齬を徹底して感じ続けます。
その違和感こそが解消されることのない対立とセットになっていて
僕たちは物語の中の出来事と現実の自分たちの生活を考えざるを得ない。

しかしそれが暗いものかと言うとそうではありません。
ラストのスーパーマーケットのシーンの
カメラと無関係に進行する事件、
物語と無関係にひたすら水平移動するカメラ、
物語もカメラも無視してアナーキーに振舞う人々、
それらを観ていると「これでいいのだ!万事快調だ!」と思わされます。
このタイトルを何かの皮肉として受け取るべきではなく
会社をクビになろうが監禁されようが夫婦仲がうまくいかなかろうが万事快調だ!
と叫ぶことこそが正しいのです。