テオ・アンゲロプロス『霧の中の風景』

ロメールの映画のシュザンヌやポールは
映画の中で何者でもない存在になっていくわけですが
この映画の二人の姉弟は子供ということもあってか始めからそのような存在です。

警察署で窓の外に雪が降り出したとき、
周りの大人たちはその時にだけ「警察官」だったり「駅員」だったりという
社会的な身分を忘れて子供のようにはしゃぎますが
姉弟と「首に縄をかけた」と繰り返す狂女だけは
雪には反応をしめさず、時が止まったような町の中で普段と同じように振舞い続けます。

周りの大人たちは、雪に触れたときにだけ失われた自然を取り戻すのですが
元から自然状態である姉弟と狂女にはそんなことは関係がない。
美しくも悲しい場面です。

こうのとり』の少女もそうですが、こいつらは動物のようにコミュニケーションをする。
旅芸人のオレステスと初めて出会うシーン、
「乗ってけよ」と声をかけられてから乗り込むまでの間たっぷり数十秒、
普通だったら「乗ってけ」という台詞の次は
3人で車を飛ばしてるシーンにつなげちゃってよさそうなものですが
無言でオレステスを見つめる二人を延々と撮る。

この異様な長さによって、三人の間に魔術的な空間が生じ、
その空間の異変が観ているこちらまで感染する。
観るたびに「とんでもないものを見てしまった」と思わされるアンゲロプロスの魔術です。
(昨日と同じことを書いてしまった)

この三人の関係は本当に美しくて、思い出すだけでも泣きそうになるんだけど
あのトラックの場面はどうにかならないものか…
あれが前フリとしてあるからそのあとの浜辺のシーンと駅のシーンが生きるんだけど
12歳にあそこまでやらすなよと。未遂でいいじゃねーかと。
テオのバカ!ド変態!と罵倒したくなりますわ。

しかしオレステスはいい男ですねぇ。
アンドレ(ベルばら)を男の中の男として崇める僕としては
彼の台詞をメモして壁にはりたいくらいです。
ヴーラちゃんもきっと幸せになれると思います。