サッカー問題

しつこく昨日の続き、と言っても今日は結論は無いですよ。
人は全てについて考えることはできないという話。
例えば僕は正義や悪や神やセックスや芸術や音楽や映画…
については考えているけれどサッカーについては何も考えていません。
正義や悪や神や…にしたって十分に考えてるとは言えないでしょう。

サッカーや正義について全く考えていないならば
「私はサッカーや正義については何も考えていません」
と自分で認識し下手なことを言わなければよい。
しかしそれは最低限の倫理ではあるけれども
例えば「私は環境問題について何も考えていません」
というのは許されないことのような感じがあります。

「感じ」などという曖昧な言葉を使ったのは
なぜそう感じるのかさっぱりわからないからでして
サッカーと環境問題の違いを僕が論理的に指摘できないからです。
もし環境問題について考えないのが許されないならば
サッカーについて何も考えないのも許されないかもしれない(笑)

仮に環境問題について考えないのが許されないとして
人はそれについてのみ考え続けることはできない。
どこかでそれを切断しなければならないのだけどそれはどこか。
前に東浩紀が「降りる自由」なんて言ってたけど、どんな話だったかしらん。