ジャック・リヴェット『恋ごころ』

なら書くなと言われてしまいそうですが、
「なぜ僕はこの映画を面白いと思うのか」がさっぱりわからない。
ストローブ=ユイレの映画のすごさを説明できないと書きましたが
その画面の凄さを形容するための適切な言葉が見つからないという話であって
実際には凄い場面が具体的に見えていて、
どこがすごいのか言えといわれればいくらでも言うことができます。

それに対してリヴェットの映画というのは
「ここが凄いんだ!ここを観ろ!」と言えるようなポイントを
具体的に指摘することができないのだけれど
どうしようもなく感動してしまう不思議な映画なのです。

それは顔ではない。
リヴェットは人を撮るのが下手ではない。
前にも書いた気がしますが、リヴェットの映画は圧倒的におしゃれで
僕はロメールゴダールの及ぶところではないと思っているのです。
ジャンヌ・バリバールのサンダルの靴の履きこなしだけでもご飯3杯はいけるし
セルジオ・カステリットやジャック・ボナフェはジローラモよりセクシーだ。

でも彼らは全然魅力的ではない。
死にかけのエディ・コンスタンティーヌのほうが美しいし
それどころかゴダールの映画のワンカットしか出てこないような
エキストラの顔にも全然かなわない。

それは会話でもない。
でもリヴェットの会話劇は洒脱だ。
複雑な人間関係とそこからこぼれる落ちるような
細かい感情の動きを仕草や表情で的確に表現している。
とは言え、同じ洒脱な会話でもロメールのように胸が詰まったりはしないし
無味乾燥に見えるストローブ=ユイレの対話劇はもっとエモーショナルだ。

それは風景でもない。
リヴェットは風景を撮るのが上手い。
風景だけで魅せることができる映画監督だと言えるけれど
この映画に限って言えばほとんどが室内撮影で
外のシーンも引きのショットが全くないのです!

こんなことを書くとまるでつまらない映画の悪口のようです。
でも(残念ながら)そうではないのです。
撮影も脚本も、面白い映画を撮るための必要条件ではないのでしょうか…
こんな映画を観ると「僕はいつも映画のどこに感動しているのだろう」
とか、果ては「僕はいったい、いつも映画のどこを見ているのだろう」
などと考えてしまいます。誰か説明してください。