応用編

この前書いたダンディ/マッチョの区分は意外と応用範囲が広くて
「そう考えるとすっきりすること」が多いです。
真山はマッチョで森田はダンディ、とかね。

一見典型的なマッチョ漫画に見える原哲夫武論尊北斗の拳』ですが
ケンシロウラオウも、二人の争いでユリアを泣かせるけれど
二人ともそんなユリアを想って心の中では泣いているに違いない。
でも自分の生き方は変えられない…というダンディな男たちなのですね。
武論尊という名前の割には、チャールズ・ブロンソン的なマチズモよりも
イーストウッド的なダンディズムが好きだということがわかります。

最近ニュースにならないのでどうしているのか知りませんが、
拉致被害奪還を目指す議員連盟の方々が
石波元防衛庁長官をはじめとして、
政治思想的に勇ましい方々で構成されていたのを思い出します。
これも「マッチョは女子供に優しい」という定義を思い出せば
十分に納得がいくことのように思います。

僕があの方々を信用できないのは
彼らは女子供(拉致被害者)に優しいし
その優しさを疑うものではないけれど
彼らは被害者の安全よりも自分の信念を優先するだろうと思うからです。
つまり、北朝鮮側が
「日本にとって屈辱的な条件を飲むならば拉致被害者を返す」
と言ったときに、彼らは飲まないだろうと思うのですね。
まぁ太陽政策も行き詰ってることですし、
強硬路線がいけないとも言い切れないところはあるのですが。

誤解のないように補足しておきますが、
マッチョなマゾヒストもいれば非マッチョな右翼もいると思いますよ。もちろん。