黒沢清『LOFT』

今、これを書いている自宅ではネットが繋がらないので
資料に当たることができず俳優の名前が正確にわかりません。
中谷美紀はあっているはずだけど豊川えつしと安達ゆみは漢字がわからない。
西島秀俊に至っては「ひでとし」だったかどうかすらわからない。

そんなこんなで本題。
人間は世界を理解することも出来なければ
ましてコントロールすることなど不可能であって
せいぜいその表面を撫で回すことができる程度である。
このことは「大自然の驚異」のような言葉に現れますが
何も大自然でなくても、人の手によって作られた物
そして人間自身でもさえもそうであると言えます。

鈍い轟音を発しながらゆっくりとゴミを燃やす焼却炉や
壁も天井もビニールだらけになった廃屋が
なにやら恐ろしげな雰囲気を発しているのは
これがホラー映画だからということではなく、
それらが、物を燃やす物や人が住む物として作られながら
いつしか単に燃やしたり住んだりするためだけの物ではない固有の存在となり、
元々作られた時にもっていたのとは別種の原理で
この世界に存在する物となったためなのです。

この映画の4人の主要な登場人物は
全員明らかに不条理な行動を取ります。
幽霊である安達が人間の摂理に属していないのは当然ですが、
幽霊だとしても何を目的としているのかがわからないし
(つまりお岩のような存在ではなく)
ただそこにいるというわけでもない。

西島も殺人者なので元々普通ではないと言えますが、
彼が、突発的または計画的な殺人だったと考えても
快楽殺人者だと考えてもおかしな行動をしています。
つまり「普通の殺人犯」の行動原理からずれていて
彼固有の行動原理に従って行動しているように見える。

主人公二人は基本的には普通の人だけれども、
それでもやはりどこかズレている、というかズレていく。
豊川の偏執は「ミイラに憑かれて」というのとは違う
「憑かれている」ことからも少しずれた状態だし、
中谷はそんな豊川を不自然なほどあっさり受け入れてしまうし
ミイラに対してわけのわからないセリフを言ったりする。

4人とも作家や編集者として「普通の」人生を生きているのだけれど
本人の意思も自覚もないままに
それまでとは少し別種の存在として生きてしまう。
それはミイラの力で引き起こされた呪いというようなものではなく、
彼らの方から(意図せざるままに)ミイラに寄り添い
ミイラにシンクロすることで引き起こされたものなのです。

焼却炉や建物が、何か禍々しい存在感を発しながらも
焼却炉や建物として機能しているように、
彼らも人知の及ばぬ存在感を発しながらも
普通の人間や幽霊として生きてもいる。
ただ、僕たちが慣れ親しんだこの世界は決して平板ではなく
ふとした瞬間に隣の世界への穴が開いてしまう。
この映画もまた、そのような世界に向けて開かれた穴なのです。


ぶっちゃけて言えば。
現役では世界で五指に入ると思っていて
いつも新作を心待ちにしている「黒沢清の映画」
として観ると「えー、こんなもんですかぁ」という思いが残る。
とは言え、平凡な作家のもっともよく出来た作品よりも
天分の才能をもった作家の出来の悪い作品のほうが面白いわけで、
観て損したなどとは全然思わないのだけれど。