身体的抵抗

セブン・オブ・ナインのボーグから人間への移行は
内面的葛藤である以前に、まず身体的葛藤として現れます。
生体部分の免疫系が機械部分に拒絶反応を起こすのですね。
その後も「ボーグは座らない」とか
「栄養物を口から摂取するのは非能率的だ」とか
人間社会に対する身体的違和感は随所に現れます。

ボーグの設定がよく考えてあるなぁと思うのは
機械部分によって生体部分の持つ個別的機能を抑えているという点。
おそらく集合意識に繋がれることに対する抵抗は
内面的な葛藤であるよりも、
性欲や食欲、免疫といった生理面での抵抗のほうが
はるかに大きいと思われるからです。

人それぞれ個別の性欲や食欲、身体能力や感覚、
それらの総合によって人格が成立していて、
それらを抜きにした内面などというものは考えられなわけです。
逆に言えばサイボーグ化によってそれらを抑えてしまえば
人格の統合なんてのは容易いだろうということです。
さらに逆に言えば、それがどれほど難しいかということなんですが。

寄生獣』を読んで思ったのは、
血糖値やら消化器官からの信号は捕食で解決するとして、
痛みも性欲もないという設定になっているけど、
生殖器が分泌するホルモンはどう処理しているのかとか
触覚はあるのに痛覚がないのはどういうことなのかとか
単純に脳を乗っ取れば済む問題じゃないこともあるだろう、ということ。
脳を乗っ取っても体が抵抗するんじゃないかなぁと思うわけです。
まぁその辺の設定を「考えないことにする」という
一種の思考実験で成り立ってるマンガではあるのですが。