ダニエル・シュミット『ラ・パロマ』

まさに肉塊という語がふさわしいイジドール(ペーター・カーン)は
少女達と少年映し出すゆっくりとしたパンの最後に登場します。
美しい少女達と肉塊のコントラストが強烈です。
ぞっとするほど美しいイジドールの母(ビュル・オジエ)は
強い日差しと木陰の強烈なコントラストを顔に描きながら登場しますし、
重苦しい静寂と人々のざわめく声、
甘く下世話な音楽と奇妙な電子音が交互に現れ
音の世界も強い陰影を描きます。

そして陰と陽はほとんど交わることもなく対立を繰り返します。
醜い肉塊イジドールと美しいヴィオラ(イングリット・カーフェン)が
同時に画面収まるショットはほとんどがロングショットで、
二人の顔を同時に収めることはないのです。

例外は二つ。一つは母の登場したシーン。
あまりにも美しい母の前に哀れな娼婦性をさらけだすヴィオラ
イジドールと初めて二人のバストショットに収まり
美しい母と醜い二人というコントラストが描き出されます。
もう一つはもっとも有名な結婚を決めた二人が歌を歌うシーン。
こちらは愛の力によって醜いイジドールが美しい存在へと引き上げられて
ヴィオラと二人、アップで写ることを許されるわけです。

上のシーンもそうですが、強い対立だけがこの映画を形作るわけではない。
テーブルを挟んで会話する二人を何度もパンしながら捉えるシーンでは
真ん中に常にニュートラルな存在であるメイドのアンヌを置くことにより
二人の対立がより複雑なものとなります。
そしてイジドールを夢の世界へといざなうくすんだドレスの女。
口を動かすことなく歌を歌い、歩かず滑るように移動する彼女は
沈黙と饒舌を超え、運動と静止を超えた存在です。
物語の中のアンヌは彼女だったのではないでしょうか。
イジドールもヴィオラも彼女の手の中で踊っていたに過ぎないのかもしれません。