メモランダム2(音韻/音響)

昨日は「音韻」と「音響」について
何の説明もなしに書いてしまったわけですが(笑)
音響とは文字通り音楽における音響物理学的領域、
音韻とは、もっと情報的(?)な領域、
もっともわかりやすいのは楽譜ですね。

で、菊池・大谷は音響的領域の肥大について語ってるんですが、
これが東の言う動物化に対応するのか。
東の言う動物的な人間というのは、大雑把に言って
カラオケや着歌を楽しんでいる層と言えましょう。

カラオケや着歌ってヤツは、元々の曲の音響情報をはしょって
音韻のみを取り出したものと言える訳で
昨日は音響=動物、音韻=人間と言ったんですが
まちがってるんじゃなかろうかと。


さて、メモランダムなので突然話題は変わります。
僕はケージやブーレーズよりも、
ライヒクセナキスが好きなんですよね。
で、どっちかって言うとライヒクセナキスの作品は
最終的な出力としての音響に力点があって、
対してブーレーズ(及びセリー派)やケージは
最初に音韻ありきな曲作りをしているように思います。

で、僕はライヒクセナキスのほうが好きな割には
音響よりも音韻よりの志向が強いのですね。
つまり「音をどう組織化するか」という点に
作曲上の興味が集中していて、
最終的な音響としての出力にあまり興味がない(笑)

というわけで、これからは
音韻の側から音響をどう組織するか、という点で
ケージやブーレーズの曲ももっと聴いてみようかなぁ、と。
まぁ彼らの曲は「勉強してないと聴いても面白くない曲」
なわけですが、そういうのが自分でもやりたいんだからしょうがない。

高橋悠治と(80年代の)坂本龍一
音韻にも音響にも偏りすぎず、
十分に音韻的に組織されていながら
音響的にも高いクオリティで作られていて
非常に上手く相互作用がなされているんですよね。
やっぱカッコいいですわ(またその話かよ!)
菊地さんの曲もその点さすがに考え抜かれていて面白いです。
大谷さんの曲は聴いたことないなぁ。どんなだろ。