メモランダム(音韻/音響)

図書館で予約待ちすること数ヶ月、
菊地成孔大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校』を
やっと借りられました。
まだちょっとしか読んでないんですけど。

菊地と大谷は音楽における
「音韻」と「音響」をとりあえず別けています。
この区分は大雑把に言って東浩紀の言う
「人間/動物」の区分に対応すると思います。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000194.html
音楽の人間的側面が音韻で、動物的側面が音響ですね。
菊地・大谷は最近のポップミュージックでは
音響の側面が肥大していると言っているんですが、
これは東の言う動物化に対応するかと思われます。

東は人文科学の領域で「人間/動物」の側面を
とりあえず分けて考えることが有効ではないかと言うのですが、
菊地・大谷は「音韻/音響」は互いに不可分なもので
その相互作用をこそを主題化しようとしています。
(まだ最後まで読んでないんで適当ですけど)

東に言わせればこのような「統一理論への欲望」こそが
近代の一時期に現れた幻想だというわけなのですが、
はたしてどちらが正しいのか。
菊地・大谷は意識的にモダニストとして振舞っているので
統一理論への欲望は必然的かつ意図的なのですが、
東のようにこの二つを峻別して考えたとき
音楽がどのようになるのかを考えるのは面白いかもしれません。

続きは明日(眠くなければ)