テクノロジーと創造性

知人と三人で、テクノロジーと作曲についての話をしていて
はたと考え込んでしまいました。
メンバーは、僕も含め三人とも電子機器を用いて音楽を作るんですが、
「ボタンを押すと勝手にフレーズができちゃうプログラム」
について、意見が割れたのですね。

実を言うと僕は使ったこと無いんでよく知らんのですが、
鍵盤のドの音を押すとドを基音として
勝手に和音とかリズムパターンまで生成しちゃうらしいのですね。
やろうと思えば数回の入力で1曲作ることができる。

そのような技術に関して、一人はやや否定的、
もう一人は「自分の作りたい曲にそれが必要なら使ってもよい」
で、僕の意見はと言うと
「作曲ってのは全てそういうもんだ」と言うもの。

「80年代っぽい音」などという語があるのでもわかりますが、
あの時代、皆が似たような音色で似たようなフレーズを作ってたのは、
偶然にもみんな同じような音を作りたかったからなのか
…そんなことはありえません。

オーケストラヒットと硬ーいリズムとブリブリのベース、は
そのような曲に適した技術が開発されていたからこそのものであって、
「デジタルシンセを使って作りたい音を作った」
というような話ではありません。順序が逆です。


もっと昔からある話。
純正律ってのは基本的に転調できないんです。
平均律ってのは1オクターブを完全に12等分してありまして
ドミソとファラドは周波数の比率が同じになってて、
この二つの和音は等価なものとして扱うことができて、
そのためハ長調からヘ長調にすんなり移行できるんですね。

対して純正律では、ドミソとファラドは響きが違う和音でして、
ハ長調純正律に調律された楽器で
ヘ長調の曲を演奏するとおかしなことになります。
以降の西洋音楽と、現在のほとんど全てのポップミュージックは
平均律というテクノロジーの産物だという話ですね。
(訂正:調べたらヘ長調への移行はできそうです。
ニ長調とかだとダメみたいですね。
適当言ってごめんなさい…っていつも適当ですが)


さらに、もっと身近な例を一つ。
鼻歌で作曲するとき人は「ごく自然に、無意識のうちに」
自分で出せる声の範囲のメロディを口ずさみます。
声で出せない高さの音や音色は無意識に排除されています。
繰り返しになりますが、歌いたい歌が精神の内部にあって、
それを表現するために鼻歌(という技術)があるのではない。
歌いたい歌は、鼻歌(という技術に)よって規定されているのですね。

そうなると、作曲における創造性(←当然ありますよ!)
とは何かって話になってくるんですが、長くなりそうなので次回。
結論が出るのかは不明。次回の更新がいつなのかも不明です。