エドワード・ヤン『恐怖分子』

この映画の登場人物たちは皆フワフワと不定形で
何を考えてるのかわからないんですね。

例えば、カメラマンのシャオチャン(リウ・ミン)は
全く中身がカラッポの容器のような人間で、
カメラと同一化して、世界をただ写すだけの機械
って感じの存在です。

こいつはこいつで面白いんですけど、なんと言っても素晴らしいのは
主人公のリーチュン(リー・リーチョン)です。
この人、最初に登場したときには狂人ぞろいのこの映画の中では
唯一まともな人間みたいな顔をしてるんですけど、
自分で密告して追い落とした同僚が、愚痴を吐いて去って行くとき、
本当に悲しそうな顔をするんですね。

普通のドラマであれば、部屋から出て行った同僚を見て
「しめしめ、上手くいった」みたいな表情をする場面なんですけど、
彼は本気で同僚に同情しているらしいのです。
上司に密告してハメたときのリーチェンとは矛盾する行動ですけど、
その後も彼のこのような態度は一貫していて、
彼はその場の状況に完全にシンクロして
その時々で人格まで変化させてしまうんですね。

この映画では、カーテンとかシャオチンの部屋の写真とか、
薄っぺらな物体が風に揺れるイメージが反復されるんですけど、
これらは、不定形で薄っぺらで染まりやすい
主人公たちのキャラクターのイメージなのですね。

この「染まりやすさ」は物語にも表れていて、
最初、無関係でバラバラだった登場人物たちが
だんだんと繋がっていく様子は、偶然によるものと言うよりも、
彼らの性質によって起こされたシンクロではなかろうかと。
ラストのコラ・ミャオが吐き気を催すシーンは
このシンクロの極まったところだと言えるんじゃないでしょうか。