東浩紀『波状言論S改』その2

iPodのCMにウィントン・マルサリスが出てたり
なかなか借りられない菊地成孔の本を
ちょっと立ち読みしたりしてて思ったんですけど、
なんか最近、ジャズがアリなものになってないか?と。

よくは知らないけど、DJのブームから
アシッドジャズなんかの流れが下地をつくって
ジャズを聴く人が増えたのかな?
しかし、あくまでクラブジャズは文字通りのネタだったわけだけど
菊地成孔のリスナーくらいになると、
ベタにジャズを聴いてるんじゃないか
という疑いが濃厚にあるのですね。

僕はクラシックの音大にいたからよくわかるんだけど、
今時クラシックを愛聴してる人間なんて、
「どうせ人とは趣味あわないですけどね」みたいな、
ひねくれた諦念があるわけですよ。
もっと言えば、クラシックなんて
日陰でこそこそ聴くものだ、とも思うわけです(笑)

10年前だったらジャズのリスナーにも
この種の諦念はあったはずで、
例えば、マルサリスであれ菊地成孔であれ、
「死んだジャンルとしてのジャズ」を
「にもかかわらずあえて」やってるはずなんですけど、
最近だと「ジャズっていいね」って普通に思ってるリスナーが
増えてきちゃってるんじゃないかなぁ、と。

波状言論』の中で、大澤真幸宮台真司について
「ミイラ取りがミイラになってるように見える」と言ってるんですね。
宮台はネタで天皇主義って言ってるわけだけど、
ベタな天皇主義者と同じにしか見えなくなってる、って話。

たとえ菊地がネタでジャズをやってても
ベタにジャズを聴いてしまう人は出てくる。
ロックもジャズもちゃんと死んでもらわないと困る、
と思ってる僕としては、これは由々しき事態です。

で、この話には結論はないんですけど(笑)ヒントだけ。
北田暁大の発言↓

リベラリズムというのは、僕の考えでは『降りる自由」の、その『降りかた』を調整する思想だと思うわけです。」

この「リベラリズム」って単語が使えそうなんですけど
僕のフィールドにどうやってもってくればいいのか
今のところわからないんで(←いいかげんだな)
今度、北田の本を読んでみようかと思います。

わかりにくいと困るので、僕の立場を書いておきましょう。
先週の日記でメタリカを褒めそやしましたけど、
ロックンロールにはきっちり死んでいただきたいと思っています。
今日はさんざっぱらジャズの悪口を書きましたけど、
嫌いなわけではありません。
ただ、21世紀的な音楽の状況を考えたときに
素朴にジャズが聴かれちゃうような状況は
ジャズファンにとってもよろしくないと思うんですよね。
やっぱりジャズにもきっちり死んでいただきたいと思います。