昨日の続き

刺激=反応的に音楽を聴く人と意味的に聴く人の違いについて。
一つの答えとしては、宮台真司のサイトから引用ですが、

「排外的愛国主義にコミットするのは、日本に限らず、低所得ないし低学歴層に偏ります。 」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=335

見も蓋もない話ですけど(笑)おそらく音楽でも同じでしょう。
要はバカで無教養な人は刺激レベルで音楽を聴く、と。
これが一つの真実なのは否定のしようがないですけど、
バカで無教養な層を切り捨てるのが正しいことなのか
っていう疑問はどうしても生じてしまいます。

悠治やカーデュー、ジェフスキーたちが、
師匠格のクセナキスシュトックハウゼンたちから離反して
「人民のための音楽」と言い出したとき(70年代ですね)
やっぱりそういうことが念頭にあったんでしょうね。

しかし、象牙の塔に対する批判としては有効に機能しても
当然のことながらこれだって正しい音楽のわけではなく、
ポストモダンが退潮してしまった後には
モダニズムのハードコア」(浅田彰)とか
「あえてする天皇主義」(宮台真司)とかって話になってくるのですね。