ウェス・アンダーソン『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』

例えばカラックスの映画であれば
突拍子もないと言っていい物語に対して、
登場人物たちは、微妙なニュアンスを持っていて
切ったら血が出そうなキャラクターなんですね。

突拍子もない物語を成立させるのに、
説得力のあるキャラクターが必要なわけです。
(ちなみに「説得力のある」というのは必ずしも
「現実的な」という意味ではないのでご注意を)

で、ウェス・アンダーソンなんですが、
この映画は、類型的で典型的なキャラクターが
その類型に従って行動する話です。
このような人物であれば、このように行動するだろう、
っていう予測があって、
突拍子も無い人物たちが歯車のように
突拍子も無い物語を作動させるわけですね。

しかし、この人物たちは類型的であると言っても
平板で深みを欠いたつまらないキャラクターだ
というわけではないのですね。
人形には人形なりのリアリティを持たせなければいけない。
これに失敗すると残念な(笑)映画になります。

イーストウッドだったら、類型的なキャラクターを
キャラクター同士の関係性の的確な描写とか、
決め顔の上手さとかによってリアリティを持たせます。
アンダーソンは脚本を自分で書いてる(共同ですが)こともあって
エピソード作りとか、構図やテンポのよさといった
テクニカルな部分が上手いんですね。
イーストウッドは、人形が人間に見えてくるのが肝ですが、
アンダーソンは人形は人形のままで生き生きと動かすんですね。

カラックスもイーストウッドもアンダーソンも、
動かし方は違えど、キャラクターを動かすことによって
フィクションに内実を与えているという点では一緒なのです。
くだらねえ結論になっちゃったな。