『10ミニッツ・オーダー 人生のメビウス/イデアの森』

ヘルツォークのはメビウス(RED)版に収録、
ベルトルッチのはイデア(GREEN)版。
ゴダールは明日です。ってまだ引っ張るか!


ヴェルナー・ヘルツォーク『失われた一万年』

1981年に初めて文明と接触したアマゾンの部族のドキュメンタリー。
ヘルツォークの映画はほとんど観てないから知らないけど、
ヴェンダースとかと同世代だし、
この人も映画の自明性を信じてないんじゃないでしょうか。

部族のおっちゃんが、白人と戦ったときのことを
歌って踊り(踊りじゃないかも)ながら語る場面が面白いです。

映画とか小説とか、フィクションをやってる人なら、
その語り方にびっくりするだろうし、
演劇とかダンスとかの人だったら、
その動きにびっくりするだろうし、
音楽をちょっとやってた身としては、
その歌にびっくりする。

僕達が普通だと思ってる表現法なんて、
全然普通じゃないんだなーって。
そんなの当たり前のことなんだけど、
「想像もつかないような歌もあるんだろうな」って頭で考えることと
実際に、今まで聴いたこともないような歌を聴いちゃうのでは
やっぱり衝撃が違います。何じゃこれ!って。

でも、ウルイウ族にとって風邪が死病だったように、
今の人類は、西洋文化から逃れることが出来そうにない、
ってのもまた事実なわけでして、
厄介な事態だよなぁと思います。


ベルナルド・ベルトルッチ『水の寓話』

主人公のナラーダ(アミット・ロッソ)は、
意志が希薄で流され翻弄されながら生きていくことを
甘んじて受け入れているかのような、
典型的なベルトルッチ的な人物です。
溥儀とかがそうですよね。

それに対し、ヒロイン(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)は
豊かな表情をもった女性なんですよね。
ベルトルッチの映画では珍しいんじゃないかと。

今までのベルトルッチが描いてきた人物って、
存在が希薄で風景に溶けてしまいそうなんだけど、
その希薄さと孤独感の危ういバランスが魅力だったわけです。

この映画では、二人が出会うシーンで、
バイクを直すナラーダの横で、彼女がちょこんと樽に座るところなんかは
すごく色っぽくてドキッとする演出でして、
今までのベルトルッチの映画では観たことないような存在感です。

『ドリーマーズ』を観てないし、ちゃんとは判断できないですけど、
新境地なんじゃないの?って思いましたねぇ。