テレンス・マリック『天国の日々』

鳥や犬といった動物たち、風にざわめく麦畑、、
雲間から太陽が射しこむ空、その空をバックに走る汽車、
(アルメンドロスによる魔術のような映像の数々!)
といった映像の短いカットが挿入されます。

これらは、ストーリーに直接関係するわけではありません。
かといって、主人公達の心象風景を表すためのものでもない。
人間の意思とは関係なく存在する、
「世界」を表象する映像、とでも言いましょうか。
(「世界」であって「自然」ではないことにご注意を)

リチャード・ギアの意思がどうあれ、世界は変わらないですし、
サム・シェパードのには避けがたい死が訪れます。
イナゴや炎の力の前に、人々はどうすることもできません。
彼らが何を思い、どう行動をしようとも、
それとは無関係に世界は動いていて、人間を不意打ちにする。
そのような世界を表象するために、
人間を圧倒するような風景の映像が必要とされたわけですね。

麦畑でじゃれ合うギアとブルック・アダムスの二人の画が美しいのは、
二人のロマンスに感情移入するからではありません。
人と人が出会って、何故だかわからないが、
恋をしたり、友情を結んだりする。
そういった関係の偶然性と避けがたさが
この映像に表れているからこそ美しいわけです。
二人の恋も、ギアとシェパードの友情と離別も、
彼らの意思には関係なく彼らの人生を不意打ちにする
「世界」で起こる出来事の一部なのであります。