さくらんぼな気分

TVで大塚愛の「プラネタリウム」を聴いてから、
サビの部分が頭から離れなくて、気が狂いそうだ、
と知人が言っていました(笑)
以下は、その会話の時の知人による分析を、僕が勝手にまとめて、
自分なりの考えを付け加えたものです。

さて、問題の「プラネタリウム」の歌詞です。

『行きたいよ 君のところへ 小さな手を握りしめて
 泣きたいよ それはそれは 綺麗な空だった』

大塚の歌詞は、ある種の『気分』を伝えることにのみ奉仕します。
上の歌詞においては『泣きたいくらいの切なさ』と言ったとこか?
次は「さくらんぼ」です。

『愛し合う二人 幸せの空 となり同士 あなたと 私さくらんぼ』

お気づきでしょうか?
どちらの曲も、構文の体をなしていません。
昔懐かしい英語のS+V+O+C、のような文法構造を持たないのです。
ぶっちゃけて言えば、よーく読んでみると
意味がまったくわからない文(そもそも文なのか?)なんです。
試しに上の二つの状況を要約してみて下さい。できないでしょう?

『愛し合う二人』と『幸せの空』と『となり…さくらんぼ』
の3つにセンテンスに分解できると思うんですが、
各センテンスは構文的なつながりを持ちません。
かといって、各センテンスが独立した一個の文でもない。
しかし、3つをつなげて読んでみると
『愛し合う二人のさくらんぼな気分』がビンビンに伝わってきますよね。
正直言って好きじゃありませんが、天才だと思います。

大塚愛ほど極端ではないにしろ、人様の日記とか読んでると、
この種の表現がすごく多くなってるなぁ、と感じます。
潜在的にそういうものだったのが
ブログ文化によって顕在化したって話なのか、
この手の文はここ最近の流行なのかはわかりませんが。

文章の意味内容というよりも、
特定の語がかもし出すイメージ(気分)
に寄りかかった文がとても多い。
(僕もその手のイメージに頼った文は書きますけど)
意味内容のレベルでは
一見、会話が成立していないように見えるのに
スムーズにコメントの応酬になってる、とかね。

僕はこういった種類の表現がとても苦手らしく、
『言ってる意味がさっぱりわからないぞ?
でも、僕以外の人にはどうやら通じてるらしい。
自分では文章読解力は低くないって思ってたけど
実は僕ってバカなんじゃないか?』
などと悩んだりもしたんですが(笑)
たぶん文章のモードが違うんですね。
ある程度読んだら、僕も慣れるかもしれません。

ところで、これって俳句に似たとこがありませんか?

『古池や 蛙飛び込む 水の音』

これは、もちろん意味はわかるし、要約もできるんですが、
要約したところであまり意味はありません。
芭蕉が伝えたいのは、この3つのセンテンスの連なりが持つ
ある『気分』の方でしょう(知らんけど)

なぜ突然、俳句の話なんかしたかと言いますと、
一応、文句もたれておこうと思ったからです。
俳句の翻訳は難しいというのは言うまでもないことでして、
翻訳もされてますけど、確実に原文の持つ何かが失われている
ということは想像に難くないでしょう。

大塚愛の歌詞もたぶん翻訳するのが難しいと思います。
これらは非常に共同体的で、内向的な言葉なんです。
この種の言葉でしか伝わらないものもありますから、
もちろん、それが悪いってんじゃないですけど、
散文的な文章でしか伝えることができないことってあるよね
ってことだけは言いたいわけです。


お願い。
大塚愛の歌詞ですが『バッチリすっきり要約できるよ!』
って方がいたら、教えていただけると嬉しいです。
僕がバカだから理解できてないだけだ、
という可能性も十分ありますからね。