角田光代「いつも旅のなか」

鋭い感性っていう、なんだか曖昧で
よく考えると意味がわからない言葉がある。
正確な定義はできないが、この本を読んで思ったのは、
思考の柔軟性と正確さのことかなぁ、と。

今まで社会主義国を旅したことは幾度かある。その旅で私が知ったことは、
◎二重値段である(外国人と住人は、食事も列車も宿も値段が違う)。
◎デパートが退屈(数少ない品物は埃まみれになってガラスケースにおさまっている)。
ということのみである。

角田は社会主義についての先入観に全く縛られない。
社会主義がどういうものか、という知識がないわけがないのだが
自分が感覚的に確かめた情報だけを使ってイメージを形作っている。

この『自分の感覚』派、に属する人はけっこう多いのだが、
彼らは社会主義国、というカテゴライズ自体を拒否しがちだ。
角田は、文物としての社会主義国、という観念を受け入れた上で
それについて、自分の頭と目と耳と皮膚と足で考え、
頭でっかち派とも、自分の感覚派とも違う結論をだすのだ。
文学者として正しい態度だと思う。

上手く伝わるかわからないが、
この本でもっともすさまじい、と思った文↓

ハバナに滞在して三日も過ぎると、この町にあふれる光と音楽に慣れてくる。強烈な陽射しにも、いつもどこかしらから聞こえてくる音楽にも、なんとも思わなくなってくる。日曜の昼間、町でダンスのショーがあると聞いて出かけていった。

それまで何ページもかけて
キューバのすごさを書いてきたにもかかわらず
突然、飽きたかのような言い草。
そして『なんとも思わなくなってくる』と書いた
その乾かぬ舌でダンスショーを見に行く、
と改行もせずに書いてしまう(笑)
この思考の強度にしびれずにいられようか。