クリント・イーストウッド「ミリオンダラー・ベイビー」
「ファーゴ」が的確な演出を伴った短さ、
の積み上げによってある種の抒情をかもし出すのに対し、
この映画においては逆に
ゆっくりと時間をかけることによって
イーストウッドとヒラリー・スワンクの間の
強い感情に説得力を与えている。
『女は見ない』と言い張っていたイーストウッドが
熱意に負けて彼女を受け入れ、
徐々に彼女の強さに惹かれていく様を
かなり時間をかけて描いていく。
ちなみに、ここらあたりの描写は、
一貫して女性を『愚かで、弱く、守るべきもの』
として描いてきた(なんと差別的な(笑))
イーストウッドが、おそらく老いによって、
その強さを受け入れざるを得なくなった過程と
妙にシンクロするところがあるでしょう。
二人の絆がもっとも強くなり、物語的にも最高潮である
スワンクのチャンピオン戦が終わるのが約90分。
エピローグ15分つけて終わらせてもいいところですが、
この映画は133分。ここから40分かけて
イーストウッドがスワンクの死を徐々に受け入れていくのです。
なんという残酷さと強さでありましょうか。
この映画の最も美しいシーンに、
母親の無神経さに傷ついて落ち込むスワンクが、
ガソリンスタンドで、少女に手をふって微笑むシーンがあります。
一見無意味な細部の的確な描写こそが映画全体を支えていて、
こういうことがさりげなくできるイーストウッドやコーエン兄弟が
アメリカ映画の大いなる遺産、とかいうものを
受け継いでいるのだろう、と感じる瞬間でもあります。
ちなみにこの少女、モーガン・イーストウッド、9歳。
孫かと思えば66歳の時に生まれた娘だそうです。
老いたとは言え、やはりイーストウッド(笑)