女性的?なリアリティ

爆笑問題の番組に角田光代が出ていて、
『愛すべきみみっちさ』について話していた。
関係がよくわからない二人連れの男女の会話で、
男の方が、焼肉やでキムチを頼み忘れたことをすごく後悔している
と、キムチ好きらしい女性に話しているのを聞いて、
彼の愛情のようなものを感じたのだそうだ。

太田光は、男の方の計算なんじゃないの?
って突っ込んでいたけど、角田は
計算ずくで口説いてるのかもしれないけど
なんだかわからないところがいい、
夜景の見えるバーで『君の瞳に・・・』
なんて言ってるのなんてつまんない。
と返していた。

一晩で何億も動かすような取引よりも
八百屋とスーパーの大根の値段の差の方がリアルだ
とも角田は言っていたのだが、
こういう感覚に基づいた物語を最近よく見る。

真っ先に思い浮かんだのはあずまきよひこの漫画だ。
あとは、チョン・ジェウン風間志織井口奈己
なぜだかみんな女性の映画監督である。
あずまは男性だが、彼の漫画のメインキャラは
ほとんどが女性である。

現在においては『リアルな感覚』を掴もうとすれば
必然的に女性的な視点に立たなければいけないのかもしれない。
女性的な視点って何?って言われると困っちゃうけど。

角田が言っている感覚ってやつは
いわゆる『大きな物語の終わり』と無関係ではないだろう。
大きな物語が男性原理によって作られていたって話は
フェミニスト精神分析の人がいろんなとこで言ってる話だけど
じゃあ小さな物語が女性原理なのかって言うと
ちょっとわからない。