ラブソングの秘密

「世紀末は世紀末か」より引用。

『性的なものは、それ自体が自己否定的なんです。性的欲望の表象が実現されることが先送りされている。…(略)…それは裏を返せば、非常に猥雑なものを内側に抱え込んでいるわけ。脱性化された清らかな状態を実現するために、血と暴力を媒介的な過程とする。そう読めば、そこには性的なものがやはりあるわけで、…』(赤間

一般に芸術とかスポーツによって
性的欲望を処理することを昇華といいますが、
それも内側に猥雑なものを含んでいるのでしょう。

人間、仕事もすればご飯も食べます。
スポーツもすればテレビも見ます。
年がら年中セックスのことを考えてるわけじゃないのに
世間で聴かれている歌はご飯や仕事の歌じゃなくて
猫も杓子もラブソングばっかりですね。

これは脱性化された清らかな状態になりきれずに
内側の猥雑性が漏れ出してる状態なんじゃないでしょうか。
ヒップホップやヘビーロックの歌詞には
ラブソングが比較的少ないんですが、
ラブソングを歌うようなポップミュージシャンに比べて
彼らは比較的、放蕩してます。

仮説。
歌詞の内容の色恋度と精神的な潔癖性は反比例する。
aiko椎名林檎は歌詞の内容とは違い、
精神的にはととも清らかな人だと予想されます。

もちろん全部デタラメですからね。半分は本気ですが。