いとうせいこう・赤間啓之「世紀末は世紀末か」

もうすぐ世紀末である。
2005年になんでそんなことを言うかと言えば、
世紀末の出来事をあとから文脈づけることによって
世紀末のイメージが形成されるのだそうな。

例えば、日本の19世紀末のイメージは
1890年代に生まれた新感覚派の作家(川端康成とか)が
自分たちの生まれた頃のイメージを
思い出すというより、作り上げたものなのだそうな。
(なぜ『作り上げる』かと言えば、
1890年代生まれの彼らに、世紀末の記憶などないからだ
それは経験していない歴史のイメージでしかない)

つまり20世紀末のイメージが形成されるのは
まだまだこれからなわけですね。
この本が出たのが95年だけど、
そのころ生まれた子供たちが
自分では直接経験していない
阪神大震災オウム事件のイメージを形づくる時
20世紀末ができあがるわけです。

思えば、自分が生まれた78年とか昭和53年という言葉に
僕も強く反応してしまうところはある。
「そうか、僕はコナンが放送された年かぁ」とかね。
冷静に考えたらそんなに意味なんてないんだけど。

共通の世代感覚がどうやって形成されるか
ってことをちょっと考えたことがあって、
外面的なイメージとしては『援交世代』になるわけだけど
そんなことやってた知り合いほとんどいないし
共通感覚ってのは別だよなぁと。

そういう共通感覚ってのも
あとから遡って形成されるのかなぁと思ったわけです。
ようするに同世代の人が自分達の共通感覚を
明晰に言葉にしたときに初めて
そういう感覚が形成されるのではないかと。
もちろん、世代論ってもの自体が限定的な時代感覚
僕らは『共通感覚を持たない世代』になる可能性はあるわけですが。