分類
デイヴィド・ブルアによるとメアリー・ダグラスは
よそ者から身内を区別する境界をグループ、
集団内の組織化の程度をグリッドと名づけ
4つに類型化した(『ウィトゲンシュタイン:知識の社会理論』より)
①グリッド強 ②グリッド強
グループ弱 グループ強
③グリッド弱 ④グリッド弱
グループ弱 グループ強
音楽の聴取における志向性に置き換えるなら、
グループに『クラシック』、グリッドに『モーツァルト』を設定すると
②はモーツァルトだけが好きで他は嫌いな人。
④はクラシックならなんでもいいけど他はダメな人。
①はモーツァルトにしか興味がない人。
③はなんでもいい人。
それぞれのタイプは音楽における美、
つまり音楽を聴いて気持ちがいいと感じるポイントを
それぞれ別の箇所に設定してる。
つまり美のルールを決める言語ゲームを
それぞれが別のルールを採用していると言える。
音楽における美を感覚の更新に求めることが可能なタイプは
③と④、グリッドが弱の場合に限られる。
音楽における永遠なるものを仮構するとして
①〜④全てを包括できる視点を採用するのか
(そんなことが可能であるとしてだが)
それともある特定のタイプのみが
永遠性への志向と言えるのか…
この前、思いついたのは
近代芸術における永遠性は新しさに関わるってことだったんだけど
こういう風に分類するとなんか違う気がする。
問題の設定ポイントがまちがっとるのか?
最近人が読む可能性を考慮せずに書いてる気がするなぁ。