ジム・ジャームッシュ「コーヒー&シガレッツ」

昨日、思わずただで観ることになった(嘘だけど)お得な映画。
昨日の日記でやたら疲れたと書いたのだが
疲れたのは映画を2本観たからじゃなくて
この映画を観るのに疲れたのではないのかと思い直した。
よくよく思い出してみるとジャームッシュの映画は
観終わったあとやたら疲れた記憶があるような…
嫌いだからでも退屈だからでもないんでしすけどねー。

保坂和志が「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を
『すべてのフィクションを、作ったり見たり読んだりする人たちの心に、深刻なものを投げ込んだ。』
http://www.k-hosaka.com/nonbook/jarmush.html

と書いていまして。
彼がジャームッシュにとても影響を受けたのは
この「コーヒー&シガレッツ」を観てもわかるんですが
保坂の小説を読むのが非常にきもちのいい体験であるのに対して
保坂の小説と近しい感触があるにも関わらず
この映画を観るのは異常な苦痛をともなうわけです。
それはこの映画が嫌いだという意味ではないんですけど。

双子の兄妹(姉弟?)のシンクロと齟齬、
いとこ達の間に流れる気まずい空気、
相手の話を聞いてるんだか聞いてないんだか
よくわからない老人達の会話。
それは何か大きな事件を起こすわけでもなく
僕たちの日常に転がっているのと大差ない風景なのだが
この会話のやり取りの中から
世界の表情とでも言う様なものが『ぬっ』とたち現れ
そのザラザラとした表面を僕の頬にこすり付ける。

しつこいようだけど、その感触はけっして嫌いではないし
映画を観る快楽の本質的なものでもあるんだけど
それを調理もせずに生のまま顔にこすり付けるかのような
ジャームッシュの映画を観ると
2本立てのお得感も忘れてへろへろに疲れ果ててしまうのでした。

それにしても「コーヒー&シガレッツ」ってタイトルの割には
こんなにまずそうにコーヒーを撮る映画もないのではないか(笑)