ペドロ・アルモドバル「バッド・エデュケーション」

主人公アンヘルは様々な生を生きる。
とは言ってもかれは変幻自在のカメレオンのような存在ではない。
「ふたくちおとこ」のティルが
粘土か何かのように次々と、そして軽々と
別の存在に生成変化するのに対して
アンヘルはゆっくり時間をかけて
子供が大人に成長するかのように自分を変える。
そばにいる者も彼が変化しつつあることに気づかない。
そしてある瞬間に彼が自分の知らない人間になっているのに気づくのだ。
その時には、エンリケも、神父も、イグナシオも
アンヘルに侵食されて別の者へと変えられてしまっているのだ。

エンリケアンヘルの関係を変えていくエンリケの家のプールのシーンは
子供たちが水辺で無邪気に遊ぶ横で
幼いイグナシオがムーン・リバーを歌う
慄然とするようなシーンとの対比でなりたっている。
アンヘルが別の自分へとなりかわる装置として
エンリケが監督する映画が導入されているわけだ。

エンリケがアルモドバル自身を
どの程度反映したキャラクターなのかは知らないが
映画と共に生きるということは
映画に侵され、自分自身が
別の者に成り代わっていくさまを経験することなのだろう。


この映画だけ観にいくつもりで映画館に行ったら
2本立てでーすって言われてもう一本観る羽目になった。
もちろん得した気分でもあるのだが
1本分の心の準備しか出来てなかったので
2本観たらけっこうへとへとになってしまった。
最初から4本観るつもりで挑めば
オールナイトだって全然平気なのだが
1本のつもりが2本だと疲れてしまう、
というのはけっこう不思議なことだ。