宮崎駿「魔女の宅急便」

けっこう何度も観ていると思うのだけど
今回はじめて気がついたのは空の描き方。
街についた後、パン屋の二階で寝るまでの間の時間の経過が
けっこう細かく描き分けられてるんです。
特にジジが『夕方になっちゃうよ』って言ったあとの
夏でいったら17時前くらいかとゆうくらいの
昼とも夕方ともつかない微妙な時間の色調が綺麗なんですよね。
空は青いけど水平線のあたりだけ赤くて
街の全体の空気もうっすら赤みがかってる感じ。

で、実はこの空の色の変化は主人公キキの
心境の変化ときっちり対応してるんですね。

あとはトンボとわけもなく海岸でケンカしたあとで
一人で道路を歩いて帰るんですけど
ここで車を避けながら道の脇の岩を
ポンポンって跳ねながら歩いて
すぐまた道路に戻って今度はとぼとぼ歩くんですね。
なんだか切なくていいシーンなんですけど、
これなんかは子供と大人の間を揺れる
彼女の立ち居地を表象してるわけです。

もう一つだけ言っちゃうと
飛べなくなった次の朝に
下着と赤いリボンが一緒に干してある場面なんてのは
13歳の少女の通過儀礼ってヤツのかなり露骨な暗喩なわけで
一歩間違うとグロテスクなことになりかねない表現です。

そういう象徴的な記号を散りばめながらも
あくまでもそれらを画として表現するということに
全身全霊をかけている宮崎駿という人の情熱が
この微妙な主題の映画をさわやかな感動物として
成立させているのではなかろうかと思います。

宮崎駿と言えば飛行って言うくらい
物を空中に浮かべるのがうまい人なわけですが
今回は空飛ぶ少女の話でありながら
象徴的な物語を語ることに重点を置いているように見えますが、
なんだかんだ言ってやっぱり画なわけです。