2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

ホウ・シャオシェン「憂鬱な楽園」

前にカネフスキーの映画を観て、 世界のありのままを写し出したようだ というようなことを思ったのだが それがどのようにして成されるのかはよくわからなかった。この映画を観て同じような感想をもったのだが それを可能にしているのは演技や脚本ではなく 非…

ちょっと昨日の続き

保坂和志との対談での阿部和重の発言『「何々のようだ」が極めて少ない保坂さんの小説は、話が何もないかのようにいわれるわけですけれども、実は逆で注意深く見なくても実際いろいろなことが起きている。だけど、なぜ何も起きていないかのように思われてし…

ジョン・カサヴェテス「こわれゆく女」

サンダルが脱げて庭でケンケンするメイビル ドレスが入った箱をぶん殴るメイビル テーブルに足を投げてタバコを吸うメイビル この女と結婚したい!と思わせる美しいシーンですが、 なにしろ「こわれゆく女」ってタイトルですから この女は壊れていきます。後…

駄菓子について

駄菓子の『駄』は駄目、無駄の駄である。 これはサブカルチャーの『サブ』と同等の意味をもつ接頭語であろう。 では『菓子』における『メイン』は何なのかと言えば 『洋菓子』と『和菓子』になるわけだ。作りこまれたメインの菓子類に対して 簡単に安く作る…

ラーメンズ・ライブビデオ「椿」

この公演のコントは、主に言葉あそびによって成立している。 この言葉あそびを言語ゲームと言い換えてみよう。彼らのゲームは、観客が無意識に前提にしているゲームのルールを 少しだけずらす作用によって成立している。 ゲームのルールの変更がゲーム内に組…

メガネ

1年ちょっと前、主にくるりの岸田繁とアジカンの後藤正文の活躍によって 『メガネの男が熱い!』という通称メガネブームが到来しかけた。 メガネの男がモテる時代になる!との期待もむなしく かのブームは予感におわり、岸田はメガネをはずした。 入れ替わり…

ちょっとだけ昨日の続き

高橋悠治やホセ・マセダのアジア回帰ってのは ケージやクセナキスの方向性で行くといずれどん詰まりになる、 ということを見越してのことだったのかもしれない。 レヴィナスやヴィトゲンシュタインには キリスト教文化の影響が刻印されているわけだが ケージ…

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー「ファスビンダーのケレル」

ジャン・ジュネの「ブレストの乱暴者」の映画化。 ファスビンダーの遺作だそうな。 とは言ってもファスビンダー観るのは初めてなわけだが。 全編が演劇的なセットの中で展開される。 エキストラの俳優もほぼ舞台装置として扱われる。 下手をすれば白々しく嘘…

美のルール

一昨日の続き。というかその後で思いついたこと。 レヴィナスとはあんまり関係ない話です。 ちゃんと考えれば、かなりいけるアイデアのはずなのだが ただのメモなので支離滅裂かも。 書けば論点が整理されるからってことで。 誰かが読んでアドバイスをくれる…

ジャック・ドゥミ「シェルブールの雨傘」

僕は映画を観るときつまらないギャグでも無意味に笑うし 抒情的なシーン(お涙頂戴ではなく)だったら 目頭が熱くなったりもするわけだが 涙を流すということはほとんどない。それでも泣かずには観られない映画というのはあって この映画がそうなわけだが、 …

エトムント・フッサール氏の『諸構想』について

レヴィナスによるフッサール論なわけだが、 僕はフッサールを読んでいないので この論考で書かれていることが、 フッサールによるものなのか、レヴィナスによるものなのか判断できない。 とりあえず、主語をレヴィナスとしておこう。レヴィナスは『樹は緑で…

今日の一冊

レヴィナス・コレクション(1)エマニュエル・レヴィナスの論考集。 難しくて一気読みできないので、ちょっとずつダラダラ読む予定。 あくまで予定なので(1)とか書いてるけど(2)があるかどうか不明。

リュック・フェラーリ「Danses Organiques」

遅ればせながらリュック・フェラーリ追悼。 フェラーリの曲はほとんどがミュージック・コンクレートで 彼が器楽曲をつくってるかどうか知らないのだが 音楽家としてのキャリアのほとんどを 具体音を加工することに捧げただけあって 具体音の現実的な意味につ…

矢田ちゃん問題についての追記

2日の日記の続きです。あまりレスは良くないのですが、 今のところ3件の意見が出されています。 A.矢田亜希子は普通に美人である(2名) B.矢田亜希子には何もない(1名) 両方とも『彼女の顔には物語があるのでは?』 という僕の仮説に異を唱える意見です…

トビー・フーパー「悪魔のいけにえ」

この映画ではあらゆる場面で無意味な映像が挿入される。 太陽のコロナ、道に転がるアルマジロの死体、 廃屋の二階から垂れ下がるシーツ。 冒頭では墓場に立つ不気味なミイラの映像と共に 墓荒らしのニュースが放送されるのだが このニュースと映画の筋がいつ…

近所で怪獣が暴れまわっている 怪獣を止めるには僕がバッハのインベンションを弾かないといけない しかしシンセサイザーの電源がショートしている なんとか配線して弾こうと思ったら今度は楽譜が見つからない 仕方なくうろおぼえでパルティータ(←なぜ?)を…

ジョルジュ・バタイユ「ランスの大聖堂」

バタイユは水や、光や、あるいは髪のように 瞬間々々で移り変わっていくもの、 『まばゆく光を発する形象たちが夜のなかに写し出されるのだが、それらはしかし、あっというまに消え去ってしまうのだ。』 と、バタイユ自身が書いたものを 言葉にして書き残そ…

夢のあと

こっちの方は、主人公(男)と連れのれい子の関係は 最後までまったくわからない。匂わせもなし。 夢の話を思い出そうとするときには おぼろげにしか思い出せない細部を 自分の中で勝手に補完して話を作ってしまいがちなので あとから思い出そうとすれば 勝…

夏の終わりの林の中

『ヤスデというのはムカデをすごく小さくしたような虫で、ぼくはヤスデが成長してムカデになるんだと思っていた。』 という一文があるんだけど、 ムカデとヤスデの話はこの文で終わっていて、 あとにはムカデとは関係ない話が続くのだが 結局ヤスデがムカデ…

今日の小説

保坂和志の短編集「この人の閾(いき)」より

物語駆動的な顔

この前、パルコブックセンターで 写真集を立ち読みしていたんです。 (↑アイドルばっかではありません。念のため)んで、宮崎あおいの写真には物語があるなぁと思いまして。 保坂和志の小説とか、風間志織の映画の登場人物のように、 この子(宮崎本人と言う…

風間志織「火星のカノン」

この映画は人の表情がいい。 顔の表情もいいんだけど、なんと言ったらいいのか 声の表情とか身体の表情も含めてですね。ホテルで小日向文世(役名わからず)とすごす時の 絹子の顔の移り変わりとか、 絹子に詰め寄られた時に小さな声で「はい」 って答える聖…

東京画

普通、道を歩いている時に 夕涼みをしている老人を見かけても 特に気にせずにそのまま歩いているわけだけで、 完全にスルーしてしまうこともあれば 何かしらその老人について考えることもあって、 でもその考えも一瞬頭をかすめるだけで あっという間に消え…

この人の閾

たしか高橋源一郎が、太宰治の「人間失格」について 『思春期の若者はこの小説のを読んで この主人公はを自分のことだとみんなが思う』 (↑うろおぼえ) みたいなことを書いていたのだが 僕は「この人の閾」という小説を読んで まるでこの主人公は自分みたい…

保坂和志「この人の閾(いき)」「東京画」

保坂和志の短編集「この人の閾(いき)」より