『B2 Unit』は100年後にも聴かれているか

谷川俊太郎が聞く武満徹の素顔』という本に坂本龍一へのインタビューも入ってまして
「二十世紀はたいした文化を生んでないと僕は思っている。メシアンブーレーズを育てたという功績はあるけども、100年たったらメシアンの曲など、ほとんど誰も聴いていないかもしれない。むしろメシアンより武満のほうが聴かれているでしょう。」と言っています。


この認識にはほぼ同意しますが、ちょっと考えさせられる言葉です。
まず、100年後に聴かれていることだけが作曲家にとって重要なことなのか。
例えばメシアンの曲が誰にも聴かれず名前すら忘れられてしまったとしても、もし弟子のブーレーズの曲が残るとしたら彼の曲の中にメシアンの音が残されるとも言えます。


録音メディアがなかった19世紀以前の演奏家は現在に作品を残していませんが、例えばクララ・シューマンの影響なしにロベルト・シューマンブラームスの作品を考えることはできません。
そう考えるなら、彼女なしには武満や坂本の音楽すらありえなかったかもしれないのです。
要するに、音楽家にとっての永遠性は彼の名を冠した作品が残るかどうかのみにはないということです。
もちろん坂本もそれくらいわかっているとは思いますが。


次に「二十世紀はたいした文化を生んでいない」ということについて。
20世紀文化がまずしかったというのは否めませんが、それは飽和状態に達した19世紀芸術の危機(一言で言うなら西洋中心主義の限界でしょうか)を乗り越えるためのあがきだったと思うのです。
古典派やロマン派が持っていた豊かさを捨ててでもそうしなければならない必然があった。
例えそれが失敗だったとしても、そこで再びロマン派に戻ろうとなど考えるべきではないはずです。


ベートーベンは自分の作品が残ることを望んでいたと思いますが、バッハはおそらくそんなことを考えていなかったのではないでしょうか。
「100年後に自分の作品を残すこと」は近代芸術に特有の志向であって、それを捨てることは20世紀の芸術家の課題だったはずなのです。
結果的にそれが貧相なものだとしたら別の可能性を探ることに意味はありますが、そのときに「100年後に残る音楽」を持ち出して20世紀の音楽を否定するのは危険な反動だと思います。


と言うか、坂本龍一のもっともユニークな(だった)点も、映画で言うならば監督ではなくカメラマンであるような、建築で言うならば設計者ではなく大工であるような、無名性への志向だったと思います(この場合、バッハの例と同じく坂本が実際に有名であることはまったく関係ありません)
その貧しさに耐えることができなかったのが彼がつまらなくなった原因の一つではないでしょうか。
「芸術家」の概念に拠らずに無名なままで豊かさを志向していくことはできたと思います。


結局、僕が何を言いたいのかと言えば「坂本龍一にまた中谷美紀とアルバムを作ってほしい」ということです。