ジョセフ・ロージー『唇からナイフ』

タイトル通りの映画である。
意味がわからないって?つまりは意味がわからない映画なのだ。
いい邦題だと思う。原題は知らんけど。


スパイ映画の醍醐味は思いもよらぬもの同士を結びつけたり、思いもよらぬ方法で使ったりできることにある。
唇からナイフが飛び出てバヒューン。
ステッキが銃や無線機に早変わり。
最後は首吊り死体を錘にしてロープで脱出だ!


その点『007』なんて最初に道具の解説をしちゃうからね。
そんなことしたら、然るべき時に然るべき道具を使って然るべき行動を起こす予定調和な話にしかならないではないか。
せっかく高い金かけてあんな素敵な道具を開発するのに、なぜわざわざそんな退屈なことをするんだろう。


はてさて。悪口はそのくらいにして。
現実と呼ばれる僕たちの世界では、ちゅーした相手の唇からナイフが飛び出てきて殺される心配などしないで生きていられる。
しかし、この映画の世界ではすべてのものが何らかのアクションの道具になりうる可能性を秘めている。
つまりすべてのものに意味がある世界だ。


現実と同じ素材を使いながらすべての物が別の物に置き換えられる可能性を秘めた世界、つまりこれは夢の世界である。
この映画のガブリエルもそうだが、スパイ映画のラスボスはしばしば全能者のように振舞う。
モデスティは彼の作り出す世界に仕掛けられた罠を読み解きながら立ち向かう。
さしずめラスボスはファルスで主人公が分析医と言ったところか。


ただの釣竿のように見える爆弾を爆弾であると見抜き、
ただの死体でしかないものをとっさに錘に仕立て上げて脱出する機転。
前者はガブリエルの作り出す世界の解釈であり、後者は逆に自らの手で世界を作りかえる行為だ。
スパイ映画とは全能性を巡る戦いなのである。