キム・ギドク『受取人不明』

喋らないキャラクターもいないし恋愛が主軸でもない、ギドクとしては変わった映画。
まぁ『サマリア』もそうだけど。
どうでもいいけど、日本で公開されてるギドクの映画は大体観たけど僕はこれがベスト。


ギドクの映画に性関係を主軸にしたものが多いのは、男女関係において最も直接的で濃密なコミュニケーションが現れるからだろう。
この映画にも、ウノクとチフム、ウノクと米兵、チャングクの母と犬商人のおっさん、と数えてみれば3つも恋愛関係があるのだけれど、他の映画と比べると一様に印象が薄い。


喋らないキャラはいないが、彼らのコミュニケーションはこの映画でも基本的に無言である。
チフムはウノクに無言で彼女の似顔絵を渡し、ウノクはそれを無言で破る。
チャングクの母は死んだ我が子の死体を食べ、死体もろとも焼身自殺する。
ウノクが米兵の靴を履くのは、彼の一部になろうとする想いからだろう。
『うつせみ』と同じように、ウノクからチャングクとチフムへの、父から子への傷の感染によるコミュニケーションもある。


が、それらは『うつせみ』や『悪い男』のほどには濃密なコミュニケーションへと発展することがない。
真実の愛で結ばれることもなければ、『弓』の老人のように死んで想いを遂げることすらできずに、ウノクたちの想いは繋がったか繋がらないかという瞬間に切断されてしまう。


超おそろしい犬商人のおっさんもチャングクの母には優しい。
息子であるチャングクのことも気にかけてはいるのだろうと思われるのだが、それは暴力としてしか現れることがない。
チフムも米兵もウノクのことを愛している点については疑いがないが、チフムは彼女を歪んだ目で見つめることしかできず、米兵は彼女と一方的で暴力的な関係しか結べない。


彼らに注がれるギドクの視線も限りなく優しいが、限りなく冷たい。
彼らは屠殺される犬のようにぶざまで、神々しいまでに美しい存在として描かれている。
彼らはギドクの分身なのであろう。
「俺は犬だ、だが犬には犬の生き方がある」とでも言うつもりなのだろうか。
もちろん韓国の米軍基地を舞台にしたこの映画は「お前らも犬だ」とも言っているのである。
そして犬とは僕たちのことでもある。


関係ないけど。
チャングクが母親を小さな湯船に入れて体を洗うシーンがあったのだが、
似たようなシーンが『弓』にもあった。
はてさて、これは韓国の風習なのか、それとも単なるギドクの趣味か。
変態ギドクだけに後者の線もなきにしもあらずなのだが、誰かに聞いてみないことにはわからない。