純粋な音楽ファンのための音楽論

『Fashion News』で菊地成孔が『服は何故音楽を必要とするのか』という、ショーで使われた音楽の分析をする連載をしている。
たまに立ち読みで読んだりするだけできっちりフォローはしていなかったのだが、
家にある分をまとめて読んでみたら(と言っても5冊だが)
本家の『Fashion News』だけではなく『Fashion News Perfect』『Fashion News Mens』でもやっている。


メンズに書いてるのはメンズのショーで使われた音楽の分析だから、使い回しではなく本家とメンズで違うことを書いているのである(たぶん)
本家とパーフェクトではどうなっているのか疑問だが、それは置いといて。


「服は何故音楽を必要とするのか」というテーマが掲げられていて、
時評的なコラムではないれっきとした連載のはずなのだが、
本家とメンズを別々に書いていて論理展開はどうなっているのか。
全部通して読んだらまとまった論考になるのだろうか。
5冊読んだだけではよくわからない。


話は変わって。タイトルのとおりファッションと音楽に関する文章なのだが、
例えば「エレガンス」の概念の分析一つとってもシャープなもので、
ファッションに対する菊地の造詣の深さも感じさせるし、
音楽の分析については言うまでもなく、現在日本で彼に並ぶ人と言ったら高橋悠治くらいである(他にいたら教えてください)


しかしこの連載、失礼ながら面白くない。
ファッションの分析も音楽の分析もなるほどと思うところがいっぱいあるのだが、
肝心の「服は何故音楽を必要とするのか」が一向に見えてこないのである。


「ファッションと音楽の両方に造形が深いこと」は「ファッションと音楽の関係を正確に分析できること」の必要条件ではあっても十分条件ではないのだ。
これも先日書いた「教養」が関係するのだろう。


まぁ音楽批評は日本では小林秀雄以来(!!)壊滅状態であり、
乗り越える相手はおろか、まともな手本すらいない無人の荒野で孤軍奮闘しているわけで、
それにケチをつけるのも酷というものだし、菊地に教養がないなどと言いたいわけではないのだが(尊敬してますよ、もちろん)


また話はズレるが、菊地も悠治も批評家ではなく本業は音楽家(実作者)である。
(この話、前にも書いたかも…)
外国人でも、音楽に関する文章について言えば、アドルノ(難しくて途中放棄)やバルトのような文筆家のものより、ケージやグールドと言った音楽家の本を読むほうが面白い。


この感想は客観的な意見ではなく、僕の私見なのであるが(当たり前だ)
もしかするとこれは、僕が自分でも音楽を作っている(一応ね)ことと関係があるのかもしれない。
例えば、映画を自分でも作っている人は蓮實重彦よりも黒沢清の批評により深くうなずいているという可能性も考えられる。
まったく制作とは縁がない純粋な「音楽ファン」が、誰のどんな批評(じゃなくてもいいのだが)を面白いと思っているのか聞いてみたいものである。


てゆーかみんな、音楽批評なんて読んでる?