アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』

『エルミタージュ』で盲目の老女が見た絵は
この映画でヒロヒトが言っていた
明治天皇が皇居で見たオーロラ」と同じものです。
物理的には存在しないにも関わらず
確固としてそこに存在するもの。

それはもちろん幻想にすぎませんが
単なる迷信だと言ってしまうことなどできなくて
ないものとしてしまおうとすれば
第三次世界大戦が起こりかねないものです。

生物学的に言えばただの人間と変わらないにも関わらず
現神人として存在しなければならないこと。
一般の日本国民には必要なものであっても
(もちろん全員ではなかったでしょうが)
昭和天皇個人にしてみれば
極度の重圧と徹底した孤独を強いるものだったでしょう。

マッカーサーが政治の話をするのに対し
ナマズの話で答える昭和天皇
このような齟齬は最後まで解消されませんが
これも彼なりのコミュニケーションの形だったのかもしれません。

政治家ではなく神聖な存在と言う通訳の意図にも関わらず
(彼の視線もまた不思議でよくわからないものです)
マッカーサー昭和天皇を一個人、一人の政治家として扱う。
現神人としての重圧に辟易していた昭和天皇には
この姿勢が心地よかったのではないか。
ナマズの話をするというのはそれへの返答であって
「私は生物学的に言ってただのヒトである」
ということが言いたかったのかもしれません。

マッカーサーとの二度の会談、
この映画の中で唯一心から彼を愛している人である皇后とのシーンと
(皇太子は出てこないので)
幻想としての天皇ではないヒロヒト個人
とでも言うべきものが段々と表れてくるのですが
彼は最後までそこから完全には自由になることができないのでした。