友情の複雑さについて

ロメールの映画なんか特にそうですが、
欧米人の男女は本当にスキンシップをよくしますよね。
頬を合わせて軽くチュッとするのは挨拶なのかもしれませんが
友達同士でも普通に手を握ったり、肩に手を回したり。
あれは単なる親愛の情を表しているだけでなく、
性的なニュアンスが含まれるコミュニケーションだと思うのです。

リリー・フランキー
「女と二人で飯を食うときに、性的なニュアンスがないなんてありえない」
なんてことを言っていましたが、これは正しいと思う。
「女と二人で飯を食うとき、男は常に一発ヤリたいと思っている」
というようなことではもちろんありません(笑)

たとえば、二人で食事をしながら昨日の会社での出来事を話すとして
 ・彼女の観察眼の鋭さに感心し、その知性に尊敬の念を感じること、
 ・その冷徹な観察の中に時おり見せる彼女の優しさを感じること、
 ・そんな優しさの奥底に潜む彼女の孤独を見て、それをいたわる気持ち、
 ・いたわりと共に湧き上がる、彼女を抱きしめたいという欲望、
などなど(笑)を人は普通に感じているはずなのです。
これは相手が好みじゃなくても、同性でも(程度の差はあれ)同じことで
友情とは本質的にそういうものだと思います。

人間ってのはかように複雑な生き物で、
複雑な感情を同時に処理することができるから人間なのです。
性関係がやや直情的で単純な(よく言えば純粋な)関係なのに対し
(↑恋愛のあり方には色々あるので一概には言えませんが)
友情という関係性には人間の複雑さが最もよく表れていると思います。

セックスフレンドというものを「体だけの関係」と捉えてしまうと
本当に貧しいことになってしまいます。
「セックスもありの友情」(←「も」が重要!)と考えるべきです。
買い物してドライブして食事して、
その後、家でもう一杯飲むか、それともセックスするかの違い。
この違いを選択の違いとして考えることは
何も恋人同士でなくても友情の延長上で可能だと思うのです。

あるいは、寝てしまうと気持ちが重くなってしまうと言うのなら
(↑この理由も長年考えているのですが実はよくわからない)
キスまではOKの「キスフレ」とか、
手を繋ぐのはOKの「手フレ」とかはどうでしょうか。
もちろん全部イヤならただの友達でもよいし、
今日はキスする、今日はしないという選択も可能。

セクシャルなものが「一対の男女」に限定されている
(建前上はですが)という状況は不健全だと思います。
彼女がいない時とか、彼女と上手くいってないときに逃げ場がないですからね。
そのことと、日本の性風俗とアダルトビデオが
世界一卑猥だと言われていることは無関係ではないはずです。

射精だけが性欲の処理ではないはずなのに、
性的な領域を恋人との性行為に限定してしまうから、
それ以外の選択が「恋人以外との性行為(風俗か浮気)」になってしまう。
もう少し性を「選ぶ」ことが許されてるといいと思うんですけどねぇ。


はてさて、聡明な方はお気づきと思いますが
上の文章はすべて28歳男性の視点で書かれています。
「好きな人以外とキスなんてしたくない」
という人は男性よりも女性に多いと思うので
同居人(20代女性)に意見を求めたところ、
「可能性としては女性でもありうると思う」との回答を得ました。
可能性の段階なので実現のめどは立っていませんが(笑)

今日の結論は
「セクシャルなものが、恋愛以外の日常の領域にもっとあってもよい」
簡単に言えば「日常にもっとトキメキがあってもよい」ということ。