ヴィム・ヴェンダース『アメリカの友人』

嗚呼、やりきれない…この一言に尽きます。
こんなやりきれないだけの映画がなんでこんなにカッコイイんでしょう。
ヨナタンもトムもやりきれないことでしょう。
でも彼らは泣いたりわめいたりもせずいつも気だるく虚ろです。
と言ってはみたものの↑には若干ウソが混じっていて
ヨナタンは劇中で2回わめきます。

しかし、2回とも彼がなぜわめいたのかはわからない。
無茶な仕事を引き受けてしまった自分への怒りなのか
そんな仕事を押し付けたトムやミノへの怒りなのか
それとも病魔という運命への怒りなのか。

彼らの感情はその表情や行動からは読み取れないけれど
彼らの聴く音楽に、彼らの乗る車に、
空を飛ぶ鳥に、ビルを建てるクレーンに、
彼らの気だるいやりきれなさと
絶望することすら叶わない諦めが漂っています。
(この辺が彼の小津の子たる所以でありましょうか)

デニス・ホッパーの下手くそなドイツ語と
ブルーノ・ガンツの下手くそな英語、
彼らは自分の感情を相手に伝える満足な手段すら欠き、
ヨナタンは妻にすら一切の事情を話すことが叶わず
せっかく結ばれるかに思えた友情は寸断され
取り戻しかけたかに見えた愛情は唐突に切断される。

何が悲しくてヴェンダースはこんなやりきれない映画を撮ったのかって
映画も、ロックも、アメリカも自分が憧れたもの全ては
すでに終わってしまっていた、という自覚でしょう。
歴史に介入できなかったという思いは、後にベルリンの天使に通じます。
当時の彼にはそれを表明する以外にできることはなかったのでしょう。
虚しいと言えばこれほど虚しい話もありませんが
この映画から30年が経とうとしている現在
その条件が変わっているというわけではないのです。


関係ないけど。
やっぱりヴェンダースはお洒落ですねぇ。
映像がスタイリッシュ、とかそういう意味ではもちろんなくて
単に登場人物の服がカッコイイという話。

登場人物にこういう服を着せられる人は信用できます。
スタイルっていうのは人生そのものだからね。
もう10年以上もヴェンダースの映画には落胆しっぱなしですが
それでも僕が見限る気になれないのは
彼がお洒落だからかもしれません(笑)
なんたってニコラス・レイが最高にカッコイイ!


も一つ関係ないけど。
年代は違いますが最近観た3つの映画、『アメリカの友人』
アンゲロプロスの『霧の中の風景ゴダールの『新ドイツ零年』
3つともにバカでかいクレーンが出てきます。
しかも物語的な必然性もあまりない場面で。
不思議な共通点です。いったい何なんでしょう。