ペドロ・アルモドバル『ライブ・フレッシュ』

アルモドバルは生成変化する者、別人になる人、
というのを一貫して撮り続けているのですが
この映画では5人の主要人物たちがそれぞれ別の変化を生きています。

クララ以外の4人は4年前の事件に決定的に影響を受けてしまい
否応なく別の者に変化することを強いられていますが
その後の人生への思いはそれぞれ違います。

ビクトルは発砲事件で逮捕され刑務所にぶち込まれてしまい
最も悲惨な目にあっていったと言えますが、
最初に思っていたらしい復讐計画などいつの間にか消えてしまい。
クララともよろしくやってるし、仕事は楽しそうだし
自身に起こった変化を楽しんでいるように見えます。

ダビドは事件で半身不随になりますが
バスケット選手としての名声と愛する妻を得て
世間的には成功しているように見えますが、
やはり半身不随になったことは大きいらしく(当たり前だ)
その変化に苦しんでいます。

エレーナは事件をきっかけに夫を得て麻薬中毒からも抜けだし
最も幸せになったと言えるでしょう。
そしてその変化した自分を守りたいと考えています。
ビクトルとダビドが変化後のさらなる変化を望んでいるのに対し
彼女は変わった後の現状を維持したいわけです。

サンチョはなんだかんだであまり変わっていませんが
事件に決定的に責任があり、故に最も事件から傷を受けていて
変わりたいと思っていながら変わることが出来ない。
実は最も不幸を背負ってしまったと言えましょう。

事件に直接は関わっていないクララは
事件前も事件後も相変わらず浮気を続けていて(相手は違いますが)
変わってもいなければ変わろうという意志もない。
にも関わらず4年前と現在の事件のきっかけを作ったのは両方とも彼女で
彼女は自覚のないまま事件を引き起こし
自覚のないまま事件の被害者となる。
ある意味では幸せだったと言えなくもないですが…。

はてさて、映画はエレーナが出産をするところで終わりますが
このラストは本当に素晴らしい。
渋滞に巻き込まれて否応なく車の中で出産するのですが
戒厳令下の人っ子一人いない町で生まれたビクトルに比べて
にぎやかな町中で生まれたお前はなんと幸せか、とビクトルはいいます。
なんだか今までの話と関係がないことを書いてるみたいですが、
人間は決定的に自由であり、変化することは自由の証なのだ
というメッセージがこめられているわけです。