時間/無時間

池田清彦の『虫の思想史』に
「食べることやセックスすることの本質は時間性にあり、科学の本質は無時間性にある。ゆえに大科学者で色恋の達人という人はあまりいない」
(↑うろおぼえ)というようなことが書いてありました。
読んでまず思ったのは、芸術家はちがうよなぁということ。
芸術の本質も時間性にあるのですから当然のことですね。

もちろんモテなかったり性に興味のなかったりする芸術家もいますが
昇華という有名な概念に示されるように
何かの原因で一般的な(何をもって一般的と言うかは置いといて)
性欲の回路が遮断されてしまって
リビドーが変な回路(芸術)から噴出している状態が
モテない芸術家の実体だろうと思うわけで
まぁ芸術家は全員スケベだと申せましょう。

と、このような二元論で考えてスッキリしていたのですが
じゃあモテない科学者たちは性欲が薄いのかと考えるに
そういうわけでもなかろうなぁと思ったわけです。
科学という無時間的な世界に生きている科学者たちは
自分の生を色恋という時間性の遊戯に適応させることができず、それ故にモテない。
科学をやってるからそうなってしまったのか
そういう人間だから科学をやってるのかというエッグチキン問題は置いといて
科学者とモテない芸術家は一緒の人種なのではないかと思ったわけです。

もしかすると、モテる/モテない芸術家のタイプは
そのまま彼らの芸術に対する態度につながるのかもしれません。
本来時間性のものである芸術を無時間的なものに凝固させよう
と目論む芸術家はけっこういます(僕もそうです)
そして無時間性に取り憑かれた彼らは
時間性の遊戯である恋愛に上手く適応できない...orz
まぁ思いつきで言ってるので未検証ですが。

僕が間近で観察する機会のあるアーティストと言えば岡崎乾二郎三輪眞弘ですが
岡崎さんは無時間芸術(だと思われがちな)美術を
「経験」という時間的な概念から捉えなおそうとしており、たぶんモテます。
三輪さんはアルゴリズムなんていう無時間的なものを使ってますが
一貫してその生成過程(彼は行為と呼びます)を問題にしており、
ハンサムな容姿やウィットに富んだ話術から考えるにモテるのでしょう。
僕も自分の音楽について考えなおさなければいけない時が来たようです(笑)